シブヤ

暗く光の落ちた、でもどこかしらは光っている、ショーウィンドウを眺めながら公園通りを歩いていたら、舞台の上にポンと放り出されるように、身体が渋谷の街に放り出された。今まで、特にここが渋谷なんだ、と意識したことはなく、というよりも、いつの間にかそれが日常で、気にもならなくなっていた。それがまた、ここは東京の渋谷だ、と認識する。スクリーンで見ていたものに、突然奥行きが生まれて立体的に目に入ってくる。これが渋谷なんだと。ひぇ〜、ひぇ〜、と観光客のように、今度は街全体を見回すように眺めていると、後ろからフランス語を話す声が聞こえてくる。観光客になっているこちらをスッとその声は抜いて行く。その二人の背中に視線を向けると、でも、不思議なことにここはパリでも良いんじゃないか、という気になる。会話の内容は勿論全く分からないけれど、本当にフランス語なのかも分からないけれど、きっとパリでもこの背中は見ることは出来る。いや、パリじゃなくても、ミラノでも、ロンドンでも、ニューヨークでも、香港でも、見ることは出来るだろう、という気がする。街の中で生きてるのは人で、どこの街に行っても歩いている人はいるだろうし、話している人もいる。座ってたり、走ってたり、音楽を聞いていたり。自転車とかバイクとか自動車とか。泣いているかもしれない。観光をしていたはずが、視線は既にないフランス語を話す二人の軌跡を辿ったまま、物語を、渋谷の街で知らぬパリの街の通りの物語を想像し始めていた。

〜から

それなりには一年を過ごしたのだろう、一瞬だったように思えたが、振り返れば季節がそれぞれの記憶に染み込んでいる。東京に出てくる前は部屋の中で過ごす生活だったから季節は窓の外を通り過ぎて行くもだった。実際、これと言って、何を得られたかというとわからない。でも、この身体で感じた季節は、記憶の静止画に、風が吹き、木の葉が揺れ、色の付いた映像になった。願いに応えられず、悲しみを生んで和らげることも出来ず、そんな状態で利己的過ぎるかもしれないけれど、何となく、では無くなってきた、ということは変わったかな。
思わぬ人からの思わぬ憂いに恐縮するしかなかった。数日前にふと浮かんだ、あなたは知らなければならない、というフレーズが再び浮かぶ。私は知らなければいけない、ということか。今なお、想像力は乏しい。

MacBookPro

ドライブが壊れてDVDが読めなくなって半年。処理速度にも不満が出てきたので、ニューマシンを購入。当初はiMacの20inchでも、と思っていたがディスプレイの問題から24inchに。でも、その価格だったらMacBookPro 2.4GHzも良いか、となり、でもでもカスタマイズするんだったら2.53GHzモデルでも変わらないか、とMacBookPro 2.53GHzに。現状から考えるとかなりの出費。しかも思っていたよりお金を持っていなくて銀行でびっくり。でもまぁこれでやっとHD映像の編集が出来る。
断片が、ただそれが断片ならば、いつまで経っても、何をしてみても、ただ断片でしかない、と帰り道、信号待ちの間、目の前を通り過ぎる車のライトを曖昧に見ていて気づく。いくら並べてみても、いくら重ねてみても、それは断片の集まりでしかなく、円周率の無限に連なる数字と変わらない。断片というのはただの容れ物。そこに物語が無ければ数字と同じ。私から生まれる断片に物語が無ければ、私という姿を浮かび上がらせることは出来ない。

アイス

いつもよりも気温が低いな、と思いながら自転車を走らせていた帰り道、前方からふらふらと歩いてきたOL風の女性が手にしていたのはアイスだった。顔色は悪く無かったけれど、アイスを持つ手と唇が震えていた。ような、気がする。丁度、通りに面したカフェの前で、中を覗こうとしていた。これから、そして、この寒い中アイスをという選択をするこの前が気になって、そんなことを考えながら自転車を漕ぐとすぐにアパートに着く。アパートの前で会った大家さんが、明日は雪だそうですよ、と教えてくれた。
昨日は明治神宮へ初詣。事務所から徒歩10分ちょっとという近さながら初めて。参道脇の木々が素晴らしい。神楽殿にてお祓い、倭舞など。内観にちと不満。おみくじのような大御心を引き、道、と出る。遠回りしても初志貫徹、というような内容。難しい。

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明けまして

こちらに特別な希望も無いのでここ近年は義弟の趣向からダウンタウンを観て年を明かしていたが、甥が眠らないという理由から早々に分かれて、母と二人、何年か振りに紅白を見て過ごす。ニュースなどで今年は視聴率回復の為に人気歌手を連ねた、ということは知ってはいたけれど、何かヒットチャートでも観ているようで物足りない。こちらが歳を重ねただけだろうけれど、演歌の力が必要だな、と。ジェロに感動。年末年始の歌番組やお笑い番組はどれも古臭さを感じて観てられなかった。観てられたのは高校サッカーのみ。
今回の帰省中に何度か、いつ長野へ帰ってくるのか、という話になる。この冬中に今の仕事を辞めることになっていて、それもあってのことだけれど、それがまぁ春までに伸びそうなのでちと予定が狂って何とも言えない。辞めるというのは、個人的に考えても思っていたより早かったとは思うけれど、ものをつくる以上、ポジションがどうだろうと、イメージが全く共有出来ないというのは大きい。これだけじゃないにしろ、このことが他のどれにも影響はする。こちらに広く取り込む姿勢が足りないのは感じているが、企業利益に為にいるわけじゃないし、自分にとってどうなのか、と考えれば我慢する程のことでもない。そんなわけで、更に社会が厳しくなりそうな来年度に職を自ら断つわりにのんびりとしてる。というよりも退職時期がはっきりしないのが大きく、何とも言えず、決められず、歯痒い。年末に、自分から茨の道歩いてるよね、と言われてしまったが、まぁでも、やりたいことをまだ出来そうだからやろうと思う。その為に、必要な場所が長野ならば長野へ帰るだろうし、東京ならば東京に居る。全然違う場所かもしれないし。でもまずは辞めないとなぁ。