undergarden

シブヤ

暗く光の落ちた、でもどこかしらは光っている、ショーウィンドウを眺めながら公園通りを歩いていたら、舞台の上にポンと放り出されるように、身体が渋谷の街に放り出された。今まで、特にここが渋谷なんだ、と意識したことはなく、というよりも、いつの間にかそれが日常で、気にもならなくなっていた。それがまた、ここは東京の渋谷だ、と認識する。スクリーンで見ていたものに、突然奥行きが生まれて立体的に目に入ってくる。これが渋谷なんだと。ひぇ〜、ひぇ〜、と観光客のように、今度は街全体を見回すように眺めていると、後ろからフランス語を話す声が聞こえてくる。観光客になっているこちらをスッとその声は抜いて行く。その二人の背中に視線を向けると、でも、不思議なことにここはパリでも良いんじゃないか、という気になる。会話の内容は勿論全く分からないけれど、本当にフランス語なのかも分からないけれど、きっとパリでもこの背中は見ることは出来る。いや、パリじゃなくても、ミラノでも、ロンドンでも、ニューヨークでも、香港でも、見ることは出来るだろう、という気がする。街の中で生きてるのは人で、どこの街に行っても歩いている人はいるだろうし、話している人もいる。座ってたり、走ってたり、音楽を聞いていたり。自転車とかバイクとか自動車とか。泣いているかもしれない。観光をしていたはずが、視線は既にないフランス語を話す二人の軌跡を辿ったまま、物語を、渋谷の街で知らぬパリの街の通りの物語を想像し始めていた。

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