undergarden

20090626

郷に入りては郷に従え、ではないけれど、街にはその街の歩き方、歩く速度がある。ほぼ3ヶ月振りに渋谷に行き、この春まで1年以上歩いた街を同じ様に歩いているつもりだったが、どうもおかしい。ぶつかりはしないが、やたらとジグザグと悩みながら押されるでもなく、誰かの歩いた流れの名残を掴んであっちへふらり、こっちへふらりとしながら進んでいる。以前は、ぐいぐい、と押し分けるように、そしてひょいと躱すように歩けていた、と思ってもどうしようもない。目の前には人の背中しかない。流れを乱しているようで、後ろを見るのが恐い。次にどちらに振れるとも分からないから、キャッチやナンパよりもこちらの方が余程迷惑。そのまま動かなくなる気配をも背中に漂わせているだろう。と、でも暫くしたら、ふと足が地面を切り裂く様に伸びて、人を掻き分けていた。その後は早いもので、それまで一向に着かないと諦めそうになっていた目的地に気づけば着いていた。途中、色んなものを見た記憶はあるのに、どこか、褪せている。
美味しいものを作る人はきっと美味しいものを食べているのだ、と当然の様なことをお土産に頂いたお手製キッシュを食べながら思う。そういえば二十歳を過ぎた頃に、恐らく美味しんぼから、美食倶楽部などと友人と月一で集まっていた。基本的には行ったことの無い噂のお店へ美味しいものを食べに行こう、という感じだったとは思うが、結局はまだ少し自由に使えるお金が出来たというだけだったから、焼き肉とか食べたいものに流れていた。それも数回で終わった。欲が無いわけではないけれど、食べたいものが近くにありすぎて、美味しいものが遠くに押されていってしまう。美味しいと思うものを口にしてやっと、そう遠くにあるわけじゃないのか、と気がつくけれど、でもやはり普段は今でも、チャリンと買える近くの、お菓子ばかり選んでしまう。

旅夜書懐 杜甫
細草微風岸、危檣独夜舟。
星垂平野闊、月湧大江流。
名豈文章著、官応老病休。
飄飄何所似、天地一沙鴎。

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