undergarden

年の瀬、というにはまだ早すぎるが、クリスマスの喧伝が二ヶ月も前からされる世からすればそう早くもないだろう、と大掃除に取りかかる。先日新調した掃除機で、その威力を知ってしまったこともあるだろうけど。いるのかいらないのか分からない資料も多く端から選別してみるが、出したとて曖昧なことに変わりはなく大して減らない。そんな中から、夏終わりのバーゲンか何かで安く買ったものだが、A4サイズの額を発掘。丁度、プリントしたばかりの写真があったので入れてみるとこれがイマイチ。額装したら何だか分からないけれど良くなる気がしていただけにがっかり。掃除が終わってから、そんな予定もないのに、展示方法についてあれこれ考える。が、やはり金が掛かるね、壁に掛けないと。
外出が近所の中学校か高校の下校時刻と重なってしまい、プラットホームが学校の廊下のようになっている。始発ということもあって車内はガラガラで、学生がシートの上でじゃれあう。じゃれあいながら、インフルエンザやばいよね〜、と言い合っている。大人が皆、避けるように遠くの車両で待っていた理由が分かった。けれど、まぁ仕方がないじゃない、と本を捲った。移りたくても、身体を起こす力が無い。気づけば本を開いたまま眠っていた。どうやら風邪っぽい。掃除の埃かもしれないけれど。

小雪

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多摩ニュータウン辺りは理科室の骨格標本のような、どうも気味が悪い雰囲気がして苦手だったが、久しぶりに多摩センターで降りると以前のような感じは薄れた。こちらが歳をとったからか、それとも都市が共に生きて馴染んできたか。ただ建造物は相変わらず、骨格標本に分厚い鋼で拵えた鎧を着させている如く映る。ペデストリアンデッキの先の公園では、学生らしきグループとカップルが陽も影って冷たい風の吹く中、それぞれにきゃっきゃっとバレーボールをしていた。こんな光景を見たことは嘗てあったか。映画やドラマなどの背景、それとも昼間の再現ドラマか、実際に見たのは初めてではないだろうか。何て健やかに間違ったのだろう、と、気温の下がる中、こちらは肩を丸めて、駅へ戻った。
夏場は殆ど気持ちが向かなかった映画を、ここの所はまた観るようになった。最近付いた癖なのだろうけれど、子供が出てくると、その子供の感情にぐっと寄ってしまう。甥や姪を重ねてしまっているような気はするが、哀しそうだとこちらの表情が強ばり、嬉しそうだとこちらも表情が緩んでいる。今年は頻繁に帰省しているが、それでも成長をその度に感じる甥と姪に会ことが帰省の楽しみになっているから仕方がないけれど、映画がちと見辛くて弱る。もうすぐ、1歳と3歳。
しかし、1年も2年も前に公開された外国映画が日本で観られないとはどういうことか。全くのインディペンデントなら分からなくもないけれど、それなりの映画祭で受賞していても観られない。儲からないからだろうか。それとも、見せないことで語学を勉強する気持ちを煽って、儲けるためか。人を撮らない映画ばかりを流すこの国に何が育つだろう。それを考えるとちと恐い。

短絡禁止

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届いた掃除機をご機嫌に掛け終えてから、立て掛けると、ホースの取り付け口に短絡禁止と刻まれた文字を見つけて首を捻る。どういうことだろう。短絡的な行動を慎め、というような箴言か、これは。洒落たことをするのね、などと思いながら、辞書で調べると、

ショートに同じ。「回路が―する」
-三省堂 大辞林

とのこと。苦笑いをするしかなかったけれど、掃除機からでも戒められるなんて素晴らしいじゃないか。…と思うことにした。
掃除機選びについては全く知識が無く、これまで持っていたのだってホームセンターで安く売っていたものを買ってきただけで、何を重要視すればよいのか分からない。聞いてみると、紙パック式のものが良い、との助言を頂く。サイクロンだな、と言葉の雰囲気だけで思っていたけれど、ダイソンを買わないならば紙パック、と再度言われてしまう。これまでのものもどうやらサイクロン式だったらしく納得。ただ、掃除機だけ先に届いてしまい、デスク周りに溢れてきた本を片付けようと買った棚及び収納力アップ用のシェルフは未だ発送にも至らず、でも取りあえず掃除の為に一時的に段ボールに本を詰めると箱が1つでは足りずに結局バラバラと纏めて場所が変わっただけだった。いつの間にここまで増えたのかと呆れる。整理していらないものは売ってしまおうか。
snow leopardがメール便で不在時に届き、ポストから包装が半分以上出ていた。これはあんまりじゃないか。誰でも持っていける。

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泣いたり

長野へ降り立った夜は流石に寒さに震えたが、2日も経てば慣れてくる。と言いつつも、しまむらにてレッグウォーマーを購入。男性用はアンクル用しか無かったので女性用。少々きついが快適。でも風はまだ冬のものではない。
小さなことでも見逃してはならない時もあるはずで、その時を過ごしている妹の気遣いの無い言葉に哀しくなる。考えれば考える程、小さな思いが積み重なって必要以上に大きくなっていく。めでたい席の前夜のことで、これ以上大きくならないようにと早めに寝床に入るがなかなか寝付けなかった。あちらへ行ったりこちらへ来たりと何度も寝返りを打ち、その度に布団に潜ったり顔を出したりゆっくりと哀しみから抜け出しながら、ぼんやりと小学校の時の担任を思い出していた。怒る時に泣いてしまう、新任の男性教師だった。始めて見た時にはかなり驚いた。怒りながら泣いているし、大人の男、しかも先生が泣いている。でも、その光景に慣れてくると、泣かなければ良いのにな、と思っていた。泣かなければ、怒られるだけで済むのに、と。でもその先生は、いつでもやはり怒りながら泣いた。その涙の理由に思いを届かせることは当時は出来なくて、どこか癖のように思っていたけれど、でも、怒られているということよりも泣かせてしまっていることに罪の意識を感じていたように思う。こちらも同じように、二度、怒りながら泣いたことがあった。どちらも、哀しくて、その理由をそっくりそのまま伝えたくて、過剰なほど伝えたいという思いが強いのに、どれだけ言葉を尽くしてもどうすることも出来ないし、伝わったとしてもその後は本人が気づいてくれるしかない。孤独感と無力感。伝えようとすればすればするほど泣けてくる。
あの先生は今でも同じように怒る時に泣いているのだろうか、と眠りの淵で気になった。あんなことを続けていたら、身体も気持ちも持たないんじゃないか。卒業式の時には、ちょっとくらい泣いた方が良いんじゃないか、などと周りを伺いつつ考えていた小学生は、直後にあった離任式で唐突に知らされた担任の異動には、自身も卒業してしまうというのにボロボロと涙を流した。

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10月末

午前からの外出が続いた、ということもあるが、まだ暗い内に寝て正午前には起きる生活が続いている。夜が長くなったこともあるか。だから冬に向けて毎年、調子が上向くのか。そういえば9月に帰省した時、母に、どうして朝から起きているの、と聞かれた。なんて答えただろう。歳をとった、とでも言ったか。寝付きが悪くても、まだ夜は明けない。朝は遠い。
仕事の合間に神田古本まつりを歩く。インフルなんてどこ吹く風で、狭い歩道に人が溢れている。土日くらいはホコ天にしたらどうだろう。品数が多く、また客が手にとっては戻していくワゴン内は雑多に並んでいて、目当てのものは見つからない。まぁでも目当てを探すような場所でもないだろう。幾つか手に取っては見るものの、ここの所の外出の折にふらり、ふらり、と出先で寄った書店で、その度に手に入れた本がベッドサイドの袋に溜まっているな、と我慢。それでも戻る道すがら、やはり目がワゴンの中を泳いでは立ち止まる。背表紙が何と魅惑的なことか。男よのぉ、などと埒もないことを考える上から、この時間を溜まった本を読む時間に充てたらどうだ、と声がする。

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