undergarden

スクワット

ポケットに手を突っ込んで小銭を取り出したが、五円玉がポロと転げ落ちた。そのまま手を伸ばして拾おうとしたけれど、物ぐさが遂に極まるようで膝を曲げてしゃがむと、その様がどこかぎくしゃくとスクワットのようになった。小学生の時から高校までサッカーをしていた割には、滅多にやらなかったけれど、でも懐かしい感じから、そのまま辛くなるまでやってみるか、という気が起きて手の内の小銭と五円玉をテーブルに置いて始める。辛くなるまで、と思ったものの、やはり数を声に出して数えてしまう。それがどうやらリズムになっているようだが、息がどこも震わさずに抜けてきたような掠れ声になっている。試しにしっかりと発音して声を出してみると、そこでもうやる気を失ってしまう。これ以上は駄目だ、と。再び声を抜くと、疲れも抜ける。五十回は無理そうだ、と四十回で止める。こんなことで情けないようだけれど、明日は筋肉痛になりそうな気配。明後日とか明明後日に出るようだったら、これこそ悲しむべきことか。

どうもエアコンが身体に合わないので、日中は窓を開け放ち、北から南へと風道を作り、その通りの真ん中に陣取るように座っている。といって、絶えず風が流れていくわけでもなく大概は暑いけれど、肌に浮かんだ汗を時折撫でる風がかえって気持ち良い。貧乏性みたいなものか。日が落ちてしまうと、網戸が無いために虫が入ってきてしまうので、窓を閉めエアコンを入れざる負えない。ただ、入れたり消したりと忙しい。肌がどうもピリピリとする。耐えられない、と外に飛び出し、散歩がてら煙草屋に行くと、蚊取り線香が焚いてあり、内ではどうも野球を見ているようで、声を掛けて、ガラガラ、とお婆さんがガラスを開けた途端、祖母の家の夏に似た匂いが鼻をついた。でも顔を顰めきる前に、身体が親しくなってしまう。どうも腑に落ちないな、とそのうち忘れ、帰る頃には離れがたくなっている匂い。いつもありがとう、と小さなライターを貰う。これで3つ目。
五年振りくらいだろうか、端末にATOKを入れる。誤変換やそもそも目当ての漢字がリストされないなどストレスに耐えられなくなった。さようなら、ことえり。

日蝕

日蝕そのものを見る気はなかったが、晴れていればどこか木陰にでも行って影を見ようと思っていたものの生憎の雨。ネットとテレビで各地の状況を見る。テレビはしかし、どうしようもない。理解を超える下らなさ。目の前で人が刺される瞬間をワクワクと、初めて見ます、楽しいことなんですよ、と伝えているのと変わらなく見える。日蝕を呪いだ、祟りだと恐れた過去よりもよっぽど気が振れている。30万以上という離島ツアーは暴風域に入ってしまい、散々だったようだけれども、ダイアモンドリングよりも皆既日蝕ゾーンの白昼の闇を体感したということが、そちらに惹かれてしまっているからだろうけれど、大きいように思う。
キッチンの電気をつけようとして伸ばした手が、垂れ下がった紐を掴む直前でふっと止まる。首を傾げる。疑問ということではない。すっと実感が遠のく。10年前にも同じ所で止まったよな、と懐かしさが指先から広がる。10年前は高校生だし、こんな所にいたはずもないのに、暫し、眼が、無いはずの過去を探ろうとする。現在が現在に収斂して、中空に紐を掴む形のままの掌を再び伸ばして掴むと、今度は疑問が浮かぶ。いつも、ここを掴んでいただろうか。それから、日常の至ることが気に掛かる。トイレはどちらの足から入っていたか、とか、鍵は右手だったろうか、とか。日常の気にも止めていなかった繰り返しが、どこかで小さくプツリと切れる。後は、連鎖してプツリ、プツリと切れていく。

淫・呪・艶・賭

淫・呪・艶・賭…常用漢字の追加再検討へ
どうゆうことなんだろうか、教育現場から不適切だと指摘…、とは。書ける必要は無いと思うけれど、この字から得るイメージは必要じゃないかしら。こんなことをするくらいならば、もう英語を公用語にしてしまった方が良い。
サイボーグでも作るつもりなんだろう、と最近よく思う。政策というのか思惑というのか、まぁ成功して、その子らが社会を動かすようになった時、こちらは老人の域に入っていて、今の社会が描く、どうやら清浄らしい世の中に生きている。でも、生きているのか、それは。どこに生きているというのか。もう人の世ではない世か。生きているといえるのだろうか。今、未来を作っている人は、その頃には殆どいない。だからなのか。死ぬ時にどこへ往くつもりだろう。何を見るつもりだろう。まぁどう足掻いても、そんな世にはならずに、栄えたいとは一向に思わないが、でもまぁ廃れる方向にすでにもう大分振れている。
しかし、書ける、と変換しようとして、賭ける、が最初に変換されしまうとは、ちと萎える。

この時期の睡眠

この時期はどうも一度起きてしまうと、もう眠れない、と内側から強く戒めるような気が起こる。まだまだ瞼は落ちていて、眠気にも覆われているのに、諦めるほかない。恐ろしさに腰がひけているようなもので、だから、眠り自体も浅くなる。途方もない夢を見ながら、今か今かと覚めるのを見ている。どんどんと睡眠時間は短くなっていく。起きていても、常に眠りを羨望していて、でも諦めの方が早い。毎年のことだけれど、慣れもせず、眼の下に隈を作る。暑さなのか湿気なのか、何れにしても眠ること自体が、眠れないということ以上に、喪失という言葉が重なって、上手く過ごせない。

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