undergarden

どうもエアコンが身体に合わないので、日中は窓を開け放ち、北から南へと風道を作り、その通りの真ん中に陣取るように座っている。といって、絶えず風が流れていくわけでもなく大概は暑いけれど、肌に浮かんだ汗を時折撫でる風がかえって気持ち良い。貧乏性みたいなものか。日が落ちてしまうと、網戸が無いために虫が入ってきてしまうので、窓を閉めエアコンを入れざる負えない。ただ、入れたり消したりと忙しい。肌がどうもピリピリとする。耐えられない、と外に飛び出し、散歩がてら煙草屋に行くと、蚊取り線香が焚いてあり、内ではどうも野球を見ているようで、声を掛けて、ガラガラ、とお婆さんがガラスを開けた途端、祖母の家の夏に似た匂いが鼻をついた。でも顔を顰めきる前に、身体が親しくなってしまう。どうも腑に落ちないな、とそのうち忘れ、帰る頃には離れがたくなっている匂い。いつもありがとう、と小さなライターを貰う。これで3つ目。
五年振りくらいだろうか、端末にATOKを入れる。誤変換やそもそも目当ての漢字がリストされないなどストレスに耐えられなくなった。さようなら、ことえり。

日蝕

日蝕そのものを見る気はなかったが、晴れていればどこか木陰にでも行って影を見ようと思っていたものの生憎の雨。ネットとテレビで各地の状況を見る。テレビはしかし、どうしようもない。理解を超える下らなさ。目の前で人が刺される瞬間をワクワクと、初めて見ます、楽しいことなんですよ、と伝えているのと変わらなく見える。日蝕を呪いだ、祟りだと恐れた過去よりもよっぽど気が振れている。30万以上という離島ツアーは暴風域に入ってしまい、散々だったようだけれども、ダイアモンドリングよりも皆既日蝕ゾーンの白昼の闇を体感したということが、そちらに惹かれてしまっているからだろうけれど、大きいように思う。
キッチンの電気をつけようとして伸ばした手が、垂れ下がった紐を掴む直前でふっと止まる。首を傾げる。疑問ということではない。すっと実感が遠のく。10年前にも同じ所で止まったよな、と懐かしさが指先から広がる。10年前は高校生だし、こんな所にいたはずもないのに、暫し、眼が、無いはずの過去を探ろうとする。現在が現在に収斂して、中空に紐を掴む形のままの掌を再び伸ばして掴むと、今度は疑問が浮かぶ。いつも、ここを掴んでいただろうか。それから、日常の至ることが気に掛かる。トイレはどちらの足から入っていたか、とか、鍵は右手だったろうか、とか。日常の気にも止めていなかった繰り返しが、どこかで小さくプツリと切れる。後は、連鎖してプツリ、プツリと切れていく。

淫・呪・艶・賭

淫・呪・艶・賭…常用漢字の追加再検討へ
どうゆうことなんだろうか、教育現場から不適切だと指摘…、とは。書ける必要は無いと思うけれど、この字から得るイメージは必要じゃないかしら。こんなことをするくらいならば、もう英語を公用語にしてしまった方が良い。
サイボーグでも作るつもりなんだろう、と最近よく思う。政策というのか思惑というのか、まぁ成功して、その子らが社会を動かすようになった時、こちらは老人の域に入っていて、今の社会が描く、どうやら清浄らしい世の中に生きている。でも、生きているのか、それは。どこに生きているというのか。もう人の世ではない世か。生きているといえるのだろうか。今、未来を作っている人は、その頃には殆どいない。だからなのか。死ぬ時にどこへ往くつもりだろう。何を見るつもりだろう。まぁどう足掻いても、そんな世にはならずに、栄えたいとは一向に思わないが、でもまぁ廃れる方向にすでにもう大分振れている。
しかし、書ける、と変換しようとして、賭ける、が最初に変換されしまうとは、ちと萎える。

この時期の睡眠

この時期はどうも一度起きてしまうと、もう眠れない、と内側から強く戒めるような気が起こる。まだまだ瞼は落ちていて、眠気にも覆われているのに、諦めるほかない。恐ろしさに腰がひけているようなもので、だから、眠り自体も浅くなる。途方もない夢を見ながら、今か今かと覚めるのを見ている。どんどんと睡眠時間は短くなっていく。起きていても、常に眠りを羨望していて、でも諦めの方が早い。毎年のことだけれど、慣れもせず、眼の下に隈を作る。暑さなのか湿気なのか、何れにしても眠ること自体が、眠れないということ以上に、喪失という言葉が重なって、上手く過ごせない。

— Read more

短冊

蒸し暑い一日になりそうです、と朝の天気予報で聞いたから、心して外に出ると、熱気の塊は浮いているにしても、まだ午前中だったからか涼しい風が吹いている。駅までの道の途中で左へ折れて歩いて新宿まで出ることにした。朝方に散歩をする時にも思うが、細い路地が多い。真っすぐ歩けば30分ちょっとの距離を、誘われているとしか思えないスラッとした路地がチラっと見えて、入り込んでいく。入って少し歩くとまた違う路地に惹かれて簡単に折れる。折れてから肩を落とす時もある。でも道は引き返せない、と不本意ながらも歩く。で、その先に山手通りとか大きな通りが見えてきて、申し訳なかった、と後ろを振り返ると、まったく別の通りに見えたりする。そんなで、結局1時間近く掛かり、気づけば涼しかった風も熱気に圧し潰されてしまっていた。しかし、空が遠過ぎる。
帰りに商店街に飾られた竹に吊るされた短冊を見たが、最初に目に入ったのが、お金がほしい、というものでそのまま通り過ぎる。これまでずっと、違和感のあった短冊の願いが、どこかすっと流れた気がした。