undergarden

3日前

雨続きだけれど、一昨日あたりまではそれでもやはり部屋の中は暑かった。端末の熱と湿気でじわじわと肌を覆う。だが、昨日からは涼しくなり、窓を開け放つと少し肌寒いくらいで、やっと寝苦しさから解放され、溜まっていた眠気を一気に晴らした。起きると、日にちが3日進んでいる。それを不思議と訝りもしないで、いつものようにコーヒーをいれて、端末に向かっていた。今から3日進んでいるとなると、〆切りも予定も過ぎている。だが、焦りもせずにその仕事を進めている。腹が減ったな、と卵を焼いてトーストに挟んで戻って、ニュースを見始めて、今日は3日前なのか、と気づいた。今日にいながらにして、3日後を生きていた。今日という日に気づいてやっと、色んなことに焦りが生まれる。
まだまだ6月で、と思っていたが、7月に入っていた。これから3ヶ月は苦手な気候が続く。考えるだけで皮膚がひりひりと焼ける。

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20090626

郷に入りては郷に従え、ではないけれど、街にはその街の歩き方、歩く速度がある。ほぼ3ヶ月振りに渋谷に行き、この春まで1年以上歩いた街を同じ様に歩いているつもりだったが、どうもおかしい。ぶつかりはしないが、やたらとジグザグと悩みながら押されるでもなく、誰かの歩いた流れの名残を掴んであっちへふらり、こっちへふらりとしながら進んでいる。以前は、ぐいぐい、と押し分けるように、そしてひょいと躱すように歩けていた、と思ってもどうしようもない。目の前には人の背中しかない。流れを乱しているようで、後ろを見るのが恐い。次にどちらに振れるとも分からないから、キャッチやナンパよりもこちらの方が余程迷惑。そのまま動かなくなる気配をも背中に漂わせているだろう。と、でも暫くしたら、ふと足が地面を切り裂く様に伸びて、人を掻き分けていた。その後は早いもので、それまで一向に着かないと諦めそうになっていた目的地に気づけば着いていた。途中、色んなものを見た記憶はあるのに、どこか、褪せている。
美味しいものを作る人はきっと美味しいものを食べているのだ、と当然の様なことをお土産に頂いたお手製キッシュを食べながら思う。そういえば二十歳を過ぎた頃に、恐らく美味しんぼから、美食倶楽部などと友人と月一で集まっていた。基本的には行ったことの無い噂のお店へ美味しいものを食べに行こう、という感じだったとは思うが、結局はまだ少し自由に使えるお金が出来たというだけだったから、焼き肉とか食べたいものに流れていた。それも数回で終わった。欲が無いわけではないけれど、食べたいものが近くにありすぎて、美味しいものが遠くに押されていってしまう。美味しいと思うものを口にしてやっと、そう遠くにあるわけじゃないのか、と気がつくけれど、でもやはり普段は今でも、チャリンと買える近くの、お菓子ばかり選んでしまう。

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穢土っ子

受け取ってしまったものの、どう返そうか、とずっと悩んでいた。心意気、のようなものを見てしまい、いえ、と拒むのは突き返している気がして、かと言って、ノーサンキューじゃ伝わらない、とこちらは信濃の田舎者だけれども、粋な返し方をずっと模索したまま結局持ち帰る。帰ってしまえば案外楽になるかもしれない、と帰路は呪文のように唱えて戻りそうになる足を運んだが、帰っても、今更粋なんてこともないのにやはり考え込んでしまう。突き返してでも置いてくるべきだったんじゃないか、と悩むうちに瞼が落ちた。眼を覚ますと、ここから、と開き直っていた。
藤井さんの個展の撮影後、機材を持っていたので、雨宿りと数時間画廊にいて、ドローイングを見ていた。こちらは描くことをしないからか瞬間的に、どうだ、と判断してしまう癖があり、じっくりと見ることは少ない。まぁだから描くということをしないのかもしれないけれど、でも、じっくりと見ていたら、作品が腑に落ちるというか、じわり身体に馴染んでくる。それを見つめる様に確かめていたら、時間が行きつ戻りつして、ともすれば生と死、死と生を跨ぐ。平等だったり不等だったり、欲望であったり理性であったり、もうやめて、という程にぐちゃぐちゃになっても、静かな直線になっていたりする。描いているとき、それは人だろうか、と何とも言えない恐ろしさがあるが、身を慄わすのは収集の付かなくなったこちらの欲望で、その感じがどこか甥がおもちゃ箱をひっくり返して端から端まで手をつける姿に重なって、健やかだな、と思いながら、あれもどこか人ではない、鬼のような気配があるな、と幼児を思いながら死に迫った。

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トランスフォーム

夕飯を用意して、久しぶりに、とテレビをつけると丁度トランスフォーマーが始まった所で、見ていなかったからそのまま見てみる。子供のころに小さな白いスポーツカーのトランスフォーマーを持っていたけれど、ストーリーは知らないから、こんななのか、と。何なのか分からない。脚本も設定も酷い。苦しさに悶えつつ、駄作でも最後まで見ないと消化出来ないので、我慢して見る。最後まで酷い。テレビをやっと消したものの、呆然としてしまい、夜の散歩に出る。雨の匂い。
東京に戻ってから、仕事は捗るものの、物を全く書けない。長野では他にすることもあったのに、それらは後回しにして書いていた。こちらに戻ってから、時間がが出来ても、浮かばない。生活が無い。言葉は生活に括りつけてあるのかもしれない。起きる時間が同じでも、朝の音がする。寝る時間が同じでも、夜の匂いがある。それらがきっと、書くもので、残すものだろう、と最近思う。

雷雨のあと

駅前で翌日のチケットを買ったり、本を買ったりしているうちに空は雲で覆われ、なだらかだけれど長い坂道の途中のカフェに辿り着いた着いた時には、昼過ぎとは思えない暗さになっていた。すぐに雷が鳴り、大粒の雨が地面を叩き始める。目の前の道を洪水のように流れて行く雨水を眺めつつ、バニラアイスとコーヒー。1時間程して空は明るくなって、雨も止んだ。雨上がりの気持ちの良い冷気のなので、と善光寺を抜けて城山まで歩く。善光寺は御開帳時期とはうってかわって、活気もなく誰もいない。境内に入るとすぐに晩鐘が撞かれた。身体の内側で打たれたように響く。坊さんだろうか、法被を着たふさふさとした白髪混じりの頭を水平に移動させながら、境内を竹箒で掃いていて、出来過ぎじゃないか、と暫く見入った。
城山にて車で拾ってもらい、飯綱まで焼きチーズカレーを食べに行く。食事を終えて店を出たのは7時を少し回った所だったが、まだ空は明るい。雨上がりの雲が山の中腹あたりに掛かっていて、山頂は雲の上に顔を出している。見慣れた光景が見知らぬようになった。ほんのりと赤く染まった空の色が拡散して空気自体が薄く染まり、記憶の色と現実の色に差異が生まれて、初めて見るように、あれこれと眼を向けた。見てるぞ、と。

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