undergarden

短冊

蒸し暑い一日になりそうです、と朝の天気予報で聞いたから、心して外に出ると、熱気の塊は浮いているにしても、まだ午前中だったからか涼しい風が吹いている。駅までの道の途中で左へ折れて歩いて新宿まで出ることにした。朝方に散歩をする時にも思うが、細い路地が多い。真っすぐ歩けば30分ちょっとの距離を、誘われているとしか思えないスラッとした路地がチラっと見えて、入り込んでいく。入って少し歩くとまた違う路地に惹かれて簡単に折れる。折れてから肩を落とす時もある。でも道は引き返せない、と不本意ながらも歩く。で、その先に山手通りとか大きな通りが見えてきて、申し訳なかった、と後ろを振り返ると、まったく別の通りに見えたりする。そんなで、結局1時間近く掛かり、気づけば涼しかった風も熱気に圧し潰されてしまっていた。しかし、空が遠過ぎる。
帰りに商店街に飾られた竹に吊るされた短冊を見たが、最初に目に入ったのが、お金がほしい、というものでそのまま通り過ぎる。これまでずっと、違和感のあった短冊の願いが、どこかすっと流れた気がした。

3日前

雨続きだけれど、一昨日あたりまではそれでもやはり部屋の中は暑かった。端末の熱と湿気でじわじわと肌を覆う。だが、昨日からは涼しくなり、窓を開け放つと少し肌寒いくらいで、やっと寝苦しさから解放され、溜まっていた眠気を一気に晴らした。起きると、日にちが3日進んでいる。それを不思議と訝りもしないで、いつものようにコーヒーをいれて、端末に向かっていた。今から3日進んでいるとなると、〆切りも予定も過ぎている。だが、焦りもせずにその仕事を進めている。腹が減ったな、と卵を焼いてトーストに挟んで戻って、ニュースを見始めて、今日は3日前なのか、と気づいた。今日にいながらにして、3日後を生きていた。今日という日に気づいてやっと、色んなことに焦りが生まれる。
まだまだ6月で、と思っていたが、7月に入っていた。これから3ヶ月は苦手な気候が続く。考えるだけで皮膚がひりひりと焼ける。

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20090626

郷に入りては郷に従え、ではないけれど、街にはその街の歩き方、歩く速度がある。ほぼ3ヶ月振りに渋谷に行き、この春まで1年以上歩いた街を同じ様に歩いているつもりだったが、どうもおかしい。ぶつかりはしないが、やたらとジグザグと悩みながら押されるでもなく、誰かの歩いた流れの名残を掴んであっちへふらり、こっちへふらりとしながら進んでいる。以前は、ぐいぐい、と押し分けるように、そしてひょいと躱すように歩けていた、と思ってもどうしようもない。目の前には人の背中しかない。流れを乱しているようで、後ろを見るのが恐い。次にどちらに振れるとも分からないから、キャッチやナンパよりもこちらの方が余程迷惑。そのまま動かなくなる気配をも背中に漂わせているだろう。と、でも暫くしたら、ふと足が地面を切り裂く様に伸びて、人を掻き分けていた。その後は早いもので、それまで一向に着かないと諦めそうになっていた目的地に気づけば着いていた。途中、色んなものを見た記憶はあるのに、どこか、褪せている。
美味しいものを作る人はきっと美味しいものを食べているのだ、と当然の様なことをお土産に頂いたお手製キッシュを食べながら思う。そういえば二十歳を過ぎた頃に、恐らく美味しんぼから、美食倶楽部などと友人と月一で集まっていた。基本的には行ったことの無い噂のお店へ美味しいものを食べに行こう、という感じだったとは思うが、結局はまだ少し自由に使えるお金が出来たというだけだったから、焼き肉とか食べたいものに流れていた。それも数回で終わった。欲が無いわけではないけれど、食べたいものが近くにありすぎて、美味しいものが遠くに押されていってしまう。美味しいと思うものを口にしてやっと、そう遠くにあるわけじゃないのか、と気がつくけれど、でもやはり普段は今でも、チャリンと買える近くの、お菓子ばかり選んでしまう。

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穢土っ子

受け取ってしまったものの、どう返そうか、とずっと悩んでいた。心意気、のようなものを見てしまい、いえ、と拒むのは突き返している気がして、かと言って、ノーサンキューじゃ伝わらない、とこちらは信濃の田舎者だけれども、粋な返し方をずっと模索したまま結局持ち帰る。帰ってしまえば案外楽になるかもしれない、と帰路は呪文のように唱えて戻りそうになる足を運んだが、帰っても、今更粋なんてこともないのにやはり考え込んでしまう。突き返してでも置いてくるべきだったんじゃないか、と悩むうちに瞼が落ちた。眼を覚ますと、ここから、と開き直っていた。
藤井さんの個展の撮影後、機材を持っていたので、雨宿りと数時間画廊にいて、ドローイングを見ていた。こちらは描くことをしないからか瞬間的に、どうだ、と判断してしまう癖があり、じっくりと見ることは少ない。まぁだから描くということをしないのかもしれないけれど、でも、じっくりと見ていたら、作品が腑に落ちるというか、じわり身体に馴染んでくる。それを見つめる様に確かめていたら、時間が行きつ戻りつして、ともすれば生と死、死と生を跨ぐ。平等だったり不等だったり、欲望であったり理性であったり、もうやめて、という程にぐちゃぐちゃになっても、静かな直線になっていたりする。描いているとき、それは人だろうか、と何とも言えない恐ろしさがあるが、身を慄わすのは収集の付かなくなったこちらの欲望で、その感じがどこか甥がおもちゃ箱をひっくり返して端から端まで手をつける姿に重なって、健やかだな、と思いながら、あれもどこか人ではない、鬼のような気配があるな、と幼児を思いながら死に迫った。

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トランスフォーム

夕飯を用意して、久しぶりに、とテレビをつけると丁度トランスフォーマーが始まった所で、見ていなかったからそのまま見てみる。子供のころに小さな白いスポーツカーのトランスフォーマーを持っていたけれど、ストーリーは知らないから、こんななのか、と。何なのか分からない。脚本も設定も酷い。苦しさに悶えつつ、駄作でも最後まで見ないと消化出来ないので、我慢して見る。最後まで酷い。テレビをやっと消したものの、呆然としてしまい、夜の散歩に出る。雨の匂い。
東京に戻ってから、仕事は捗るものの、物を全く書けない。長野では他にすることもあったのに、それらは後回しにして書いていた。こちらに戻ってから、時間がが出来ても、浮かばない。生活が無い。言葉は生活に括りつけてあるのかもしれない。起きる時間が同じでも、朝の音がする。寝る時間が同じでも、夜の匂いがある。それらがきっと、書くもので、残すものだろう、と最近思う。