undergarden

筋肉痛

今年最初のフットサルの練習後、案の定筋肉痛に襲われる。練習中から左足股関節が痛くてそれをかばいながらだったからか左足が特に酷い。股関節も足を上げる度に痛むから生活が送りにくいけれど、この痛さは嫌いじゃない。不意に意味なく立って痛さを確かめたりする。それで喜んだりするわけじゃないけれど、確かめたくなってしまう。まぁ喜んだと言えば筋肉痛が当日に出始めた事。まだまだ若いなぁ、なんちて。
実家のソファーの脇に埋もれていたコンパクトカメラを拝借し、白黒のネガフィルムが丁度あったのでそれを装填してポケットに入れて持ち歩く。あまり荷物を持ち歩きたくないのでポケットに入る大きさというのがもの凄く嬉しい。ストロボとタイマーの設定しか出来ないAFの単焦点コンパクトカメラ。デジカメの方が細かな設定出来るし、もうちょっと小さかったりズームもあったりで良いのだろうけれど、何だかフィルムから離れられない。これくらいのものだったら使い倒せるというのもあるかもしれない。調子に乗って車の中からだったり簡単にシャッターを押してしまっているのが問題と言えば問題だろう、金銭的に。

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life day

父と子がただ話をしているシーンでも見るとやはり羨ましくなってしまう。そんな未来はあたしにはなくて、そんな幻想に取り憑かれもしたけれどやはりただの幻想でしかない。もし、という話で、生きていたとしても、やっぱりそんな未来は無かったと思う。そんな関係だったのにやはり羨ましい。
今日は父の命日で朝からお寺へ向かう。仮眠の様な睡眠で瞼が落ちそうになる運転席で母と妹の尽きる事の無いマシンガントークを聞きながら、死の直前の熱い父の手と死後の感じた事の無い冷たさを思い出す。あの時に漬け物石の様に死の上に誓いとして置かれた墓石は克明に刻まれている死を否定出来る唯一のものだったけれど、そんなもの必要ないじゃん、といつもの様に車内を飛び交っているこの柔らかな銃弾がいつの間にやら形が無くなるまで削ってしまった。今を受け入れよ、という事らしい。
しょうがないなぁ、とアクセルを踏んでいる足の力を少し抜いてこちらに向かってくる銃弾を受け止める。

竜馬の妻とその夫と愛人

昨夜選んだ写真をプリントに出しに行くが結局見送り。仕上がり期間を聞いているのに値段を教えてくれたり、その問い合わせにもの凄く時間がかかったり、で、結局手元にあった表で確認して外部のラボに出すから1週間。白黒ポジだから…、と6ッ切なのになんだか法外とも言える値段だった。明日ラボ持ってる所へ問い合わせてみよう。その後マックへ寄りつつ長野市民劇場へ。運良く東京ヴォードヴィルショー竜馬の妻とその夫と愛人のチケットが手に入った。しかもタダで。久しぶりの演劇にワクワクしつつ、席を探すと何と前から5〜6列目のど真ん中。ただ隣の爺さんの口臭が気になる。セットと話題に入ってない人物の行動が面白い。視覚訓練のおかげかしら。ひとつのセットで2時間飽きない演出に感動。しかも佐藤B作は出っ放しだし。演劇と映画の違いを見たいのでDVD借りよ。休憩無しの狭い席と固いシートで下半身が痛む。もっと良い劇場を是非とも作って頂きたい。関係無い様で有る、行きの車中で議論した県政については日曜に見た噂の東京マガジンから。出演者は佐藤B作しか開演前は分かってなかったけれど山口良一がいてこの見えない繋がりに驚く。

おしるこ

モナカに包まれた何となく西洋風なおしるこ(の元)を手土産に頂く。小腹の空いた朝方、お湯を沸かし濃い方がやっぱり良いよね、と自分に同意を求めて納得し少なめにお湯を注いでモナカを割った。よく混ぜてもあんとお湯が分離していて、更に混ぜても砂糖がじゃりじゃりとスプーンの底に当たるだけで一向に仲良くならないので諦めて食べるとまぁなかなかじゃないという感じ。口に入った瞬間の味気なさはあるものの、そこだけ我慢したらおしるこになる。口の中で完成するおしるこ、新しい。甘党なあたしは甘いものを食べてたらどうやらポジティブシンキングになるみたい。
少し身体機能を強化を計ろうと、関節の柔軟及び視覚の強化訓練を最近やっている。まぁ最近めっきり練習の無いフットサルの為。昨年はスキル・フィジカル共に分かりすぎるくらい顕著に右肩下がり。もうそろそろ手を引いて、続けるなら小学生とかのコーチみたいな事しようかな、と考えていたけど、高校サッカー見てたらやっぱりプレーしたいな、と始める。まぁまず走らない所からしてお手軽に上手くなろうという魂胆が見え見えだけれどあたしって昔からこうだから仕方ない。フットサルじゃなくてサッカーやりたいなぁ…。どっか受け入れてくれるチームないかしら(笑

黒い世界と。

まだ雨降ってるのか、と夕方近くに起きて、暗くなってから食料品調達の為外に出ると視界に写る世界に違和感を覚える。手摺から身を乗り出して見回してみるといつも見えているはずのライトアップされたどでかいスーパーの看板がない事に気付く。ひとつ気付くと橋の照明が見えない、とか、そういえば遠くの山に見える高速のサービスエリアも見えない、などと連鎖的に気付いて光の数が足りないのか、と結論が出た。目で分かる程の霧は出ていないのに、世界がこれだけ暗い。習性といっていいかもしれないけれどもの凄く落ち着いて、買い物がてらその黒い世界を楽しむ。

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