undergarden

10月

先週末あたりから部屋に籠っていた為に、天気のことなどすっかり思考から抜け落ちていたが、一段落、二段落としていくうちに雨の音が徐々に輪郭をはっきりと持って聞こえるようになった。そういえば昨日も雨かしら、その前も雨かしら、とぼんやりと残る雨の音を探るがはっきりとしない。部屋の中だけで完結していた生活を食事だけでも、と外出すると、既に日が落ち始め、しとしとと降る雨に街頭や車のテールランプが輝いている。いつのまにこんなに早くなったのだ、と思いながら、どこか鋭さを増した寒さに袖を伸ばして手を引っ込めた。
外食しても自然と思考は仕事の方に向いていて、難しい顔をしていたのか、先程までじゃれあっていた幼い兄弟の弟の視線を視界の端に感じる。見つめ返した視線の後ろに、10年前通っていた中学校のジャージを来た女の子がいて、そういえば国語の教師に「十個は”じゅっこ”ではなくて”じっこ”と読むのだ」と教わったことを輪郭を持たないぼんやりとした雨の音の中に思い出した。

週末行

週末は金曜夜〜日曜朝まで東京へ。築地場外のえんがわ、TGS、倉庫内のギャラリー、もんじゃなど。ここに住むのかなぁ、と歩いた街は、そこ自体が大きな船のようで今まで感じたことの無い空気をもっていた。魂が後ろから自分を眺めているような。一睡も出来なかったからかしら…。日曜の朝早々に新幹線に乗ると隣に爺さん2人組が座り、軽井沢まで殆ど内容の変わらない会話を続けながら、熱くなっているのか寝ようとしているこちらに肘をガンガン当ててくる。「ガラナ」「いやグゥラナだよ」「え?ガァラナ?」「だから、グゥアラナ」「グラナ?」など。長野駅に迎えにきてもらってそのままフットサルの大会へ。試合開始20分前くらいに到着。恐らく気胸だろう、ともう4回目だか5回目のこの病気を自己診断していたが、大丈夫だろうとこれも自分の判断で試合に出場。でも左目に弾かれたボールが直撃してフラフラとリタイア。左目の下瞼の一部がポコッと突き出て眼球は赤く充血している。前半はベンチにて左目の回復を待ちながら試合を見る。流れと言うものは確実にあって、その流れが悪い時にやはり失点。交代などを考えたが監督不在だと難しい。後半から試合に戻るが今度は肺が悲鳴を上げて喉が焼けるように熱い。交代を考えたけれど、酸素の行かない脳は目の前のことしか考えられなくなってただ夢中になってやっていた。試合終了3秒前くらいにチームメイトが難しいシュートを決めて同点。PKへ。簡単そうに見えて精神的にきつい。今まで蹴り込んだどのゴールよりも小さく見えてキーパーが大きく見える。でもそのキーパーの浅はかな策略がこちらをちと冷静にしてくれた。結果的に負けてはしまったもののチーム力は上がっていることは実感出来た。継続は力なり、か。その後実家に帰って環境整理やフットワークを軽くするために一度今住んでいる所を引き払って次まで実家に戻ろうかしら、ということを母に相談してみたが却下。妹の出産も控えているし仕方がないけれど、本音を語ってはくれぬことに落胆。早々に実家を出て溜まった仕事を始める。

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秋雨前線

CM撮影の小道具を購入しに行くついでに久々に31へ。昨日の暑さで再燃したアイスへの欲望が抑えられず。オータムサンデー:ティラミスでトリプルチョコレートパッションを注文。雲行きが怪しいので落語を聞きつつ車内にてペロンと平らげる。そういえば市内のバーにて立川談慶が落語をやるという情報をどこかで見ていたのだが思い出せない。どこだったかしら。その後100円ショップにて目的のものを購入。余計なものを買ってしまうからといつもならさっさと出るところなのだが、激しい雨に外に出られず(他の客も入り口に溜まっていた)店内をブラブラと歩いて回るとこんなものまで、というあらゆるもの、生活していくには十分過ぎる程のものが揃えてあって驚く。余計なものをホイホイと買ってしまうわけだ。こりゃいけねぇ、と雨上がり待ちの客の群れに混じり秋の到来を眺める。遠くにまだ夏を従えている空、というのだろうか、この独特な空は。人の群れとアスファルトにこもった熱が放出されたおかげで入り口は異様に蒸し暑くなり、折角アイスで体温を下げたのにまたベトベトとした汗が出る。外と内を隔てるドアの隙間から吹き込んでくる涼しい空気に誘われて幾らか弱くなったといってもまだ雨が降っている外へ出てみると露出している肌に細かな雨がふわりと着地して、熱とともにベトベトとした汗も消した。これからの一週間は秋雨前線の影響で雨やら曇りのぐずついた天気が続くと昨夜暑さと疲労からくる頭痛の片隅で見ていた天気予報で言っていたな、と思い出し、涼しさに胸躍らせながらその先の冬をもう考えてしまった。

予定

夜中コーヒーを飲みに行くと友人が来月末締切の小説コンペに応募するから是非どう?と難しい日本語で聞かれる。原稿用紙200枚以上ってどう書けば良いのかしら。その友人は話の全体像は決まったから後は筆を走らせるだけだと言う。全体像なんて見えないあたしには途方もない枚数だ。CM撮影の為に自宅にてテスト撮影を行うが落ちて行く水滴の描写がかなり難しい。映像全体をカメラの連射で繋げるということも考える。しかし一番困ったのはDVカムが故障した事。撮影中に電源が勝手に切れてしまう。以前も同じ症状が出て、その際は保証期間中だったから無償修理対応だったけれどが今回はそうも行かないだろう。先月D70Sを買ってしまったので、DVカム新調は厳しい、というか現実的に無理。まぁこのサイズのDVカムも後々も便利そうだからやはり修理か。
来週月曜の午後に、と打ち合わせの約束をしたのだが、他の予定とブッキングしている気がしてならない。何かある、若しくは何も無い、どちらかさえ確定してくれればこの落ち着かない気持ちも解消されるのに、と予定を全て記憶だけに頼っていることを省みる。が、今年初めに用意したスケジュール帳はもうどこにあるのかさえ分からないし、そもそも記憶の様に変更された予定がソートされないから不便。書き込んだ明確な予定に縛られるよりも記憶というある種の不明瞭さを持ったものになら縛られても良いかな、と思っているだけからかもしれないけれど。まぁだから諦めるか。

15second

何だか日課として水戸黄門を見てしまっているのは年をとった証拠か。水戸黄門ばかりではなく暴れん坊将軍や大岡越前、桃太郎侍など時代劇ものをやっているとつい見てしまう。流れは決まっていて面白みは無く、最近の作品は撮影技術は上がっているがそれがかえって滑稽だったりする。でももっと滑稽で面白くないのは現代を舞台にした連ドラだよなぁ、と思う。一週間前に見た夢で無感情に目の前で殺された見知らぬ人が、刀で切られた武士ではなく、恋や愛以外の感情を奪われた連ドラの登場人物の方に重る。
経験と実績、ということで自分を納得させる事も無く、ただ楽しそうだからと殆ど制作費など出ない15秒CM(ケーブルテレビ)の制作の打ち合わせに行き、簡単なメモ程度の絵コンテでまとめる。好き勝手やらせてくれる、という太っ腹さはありがたいがその太っ腹さを換金にも向けて欲しい、と言ったら罰が当たるかしら。まぁ後々。でもモデルもこっちで用意すんの…?帰宅してからTarnation。これは買い。限られた環境の中でここまで作り込める集中と情熱に刺激される。こちらの生活にかすりもしない制作者の半生がリアリティの針を左右に揺らしノンフィクションだけれどフィクション。だけれどノンフィクションと訳の分からぬ認識を常に与えられた。記憶の記録ってでもこういうことだろう。次回作がどうなるのかが非常に楽しみ。しかしDISCASって便利。