undergarden

ひとつきあまり

気づけばこの場所に住み始めて丸一月経った。汗がまだ肌を覆うような夏の終わりに引っ越しを始めて、既に色づいた葉も落ち空が遠く映る初冬に入っている。未だ開封されていない荷物や始めてもいない修復が残っている。だがしかし暮らしの形は出てきたように思う。
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at under the bottom

 拾ったはずの文字が次々と消え、半ページ前のことすら記憶に繋ぎ止めておけずに本を捲る日々は、それでも時期的な問題と捉え、敢えて注釈を一々開かねばならない学術書を手に取ったが、一行すら進めない。何度も返る有様に、まるで漢文のようだと自嘲するも、意味すら取れずにただ反復しているだけとなれば、その余裕も失われる。いつからだったろうか、と思い返しても、明確に分かるはずもない。遣る瀬無い想いは、瞬間的な感情に身を浸すのには十分な理由であったと思う。そこから抜け出せなくなるとは思ってもみなかったが。
 恐れを、それが歳を重ねるということだと受け入れてきたが、知らぬ間に恐れを恐れていたようだ。毛細管を伝う血液のように重力にさえ逆い全身に広がっていた。世界が崩壊する夢をみても、誰がそれを持ち続けていられるだろうか。でも、確かに、そのような世界の上に立っているのだ。そんなことすら知らなかったのか、という声に、ずっと手の中にあった、と傲慢にもこたえるのが私だった。気づけば、この身体は鏡に映らない。手を伸ばしても、そこには主張すらしない境界が絶え間なく存在するだけだ。
 某企業CMではないが、努力が報われるとは限らないし、積み重ねてきたものも崩れてしまうこともある。それも一瞬と感じられる早さで。もしかしたらその時、世界を最もよく見ることになるのかもしれない。恨めしいほどの美しさと正しさで。
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4回目

傲りと過ちによって必要以上に喘いだ、言葉に追われる日々がようやく一段落する。このひと月で、キーボードで3万字、手書きで1万字ほどになっている。全てではないにしても、テーマに沿って、参考文献を漁って、などとやっていると、まだ慣れぬのもあり、言葉が無意識下の文字列となって失われる。その中で、残す他無かったとは言え、最後に手を付けた連句(文音)の付けのおかげで思いがけず救われた。光景から言葉を、逆に、言葉から光景を立ち上げて、それを短い言葉で綴る行為は、言葉にしたくともなかなか出来ないものを言葉にする行為に近く、それは、良い写真を見た時の感じ方に近い。イメージが、主観と客観(或いは間主観)の違いはあるけれど、1巻36句、中折り換算で18枚、と句それぞれの光景を見れば、写真集に近いだろうか。若しくは、象形文字の成り立ちを辿っているような気もする。事物や自然を象り圧縮し、それを解凍して事物や自然を知る。全く書けもしない漢字を生み出すほどに熱中する気持ちが、この行為への気持ちが、ちと分かる気がする、などと久しぶりに湯をためて浸かった湯船で浮かべてみた。
引っ越しが終わって落ち着いたら、と思っていたら春になり、夏の展示前後に告知も兼ねてと思っていたら夏も過ぎ、秋は上述のように過ぎて、また冬になってしまった。月に1度くらい、更新してないね、と言われて、そうだなぁ、とここまで来てしまった。言葉の訓練のため、という当初の目的からすると大分さぼってしまっていることになる。12月にして今年4回目。3ヶ月に1回じゃあ何となく不満が残るので、2ヶ月に1回くらいの回数にはしたいところだが、まぁどうなるかみてみよう(ライコネン風)。
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凸月

ハテナ缶の無い自販機、知らぬ表札の木造家屋、腰ほどの高さのフェンス、老いた犬、コルベット、プレハブの校舎、新築の家、雪や石やで狙った電柱の少年、惚れた娘が消える辻。

小学校への通学路だった道を、小学生と同じような移動手段しか持たない30歳になって再び歩く。中学校は小学校の更に先だから、9年間も通った勝手知ったる道。車でも何度も運転して通っている。その迷うはずのない道で、惑う。全てが小さく狭い。振り返ればあるはずの景色がずれる。夢の中か特撮のジオラマか、と目眩に襲われる。ただ、靄の向こうにぼんやりと浮かぶ記憶の輪郭が、晴れるにしても隠れたままにしても、ここで育ったのだという確かさを与えてくれる。それにしても随分狭い範囲で冒険をしていたものだ。用事を終えて帰る道は、子供のころには超えてはならぬと言われていた学区外の道を選んだが、そこを隔てるのは車一台分の狭い道でしかなかった。興奮しながら超えていたそのラインを今ではとても羨ましく思う。
急遽帰省することになり殆ど飛び乗ったようなものだったから、いつも座る左列の窓側の席がいっぱいで2席だけ空いていた右列の窓側を余計なお金を出して座る。大抵、本に目を落としてから少々眠り軽井沢〜佐久あたりで目覚めるという感じで、左側の席だと丁度町並みが望める。上田の少し手前だが、千曲川の彼岸あたりから山裾まで緩やか登る一直線に伸びる道の街灯が、山奥の古刹、と言いたいところだが、黄泉への道標の灯のように見えて惹きつけられる。まぁでも今回はお預け。そのかわりに赤く大きな月を見る。いつもと違う間接視野の景色に長く本に目を落とすことが出来ず、排気に烟る関東平野の街を流れるままにぼんやりとただ眺めていた。薄皮を掛けたような、という文章を読んだ直後だったから、これがそんな感じか、と思いながら。その視線の先から月が昇る。殆ど目線の高さから。そういえば、と子供のころ、まだ低学年だったと思うが、父に連れられて初めて東京を訪れたときのことを思い出す。銀座あたりだったか、タクシーの車内からビルの合間に見えた真っ赤な大きな円を、あれは何、と聞いていた。まさか月だとは思ってもいなかった。東京、という幼いイメージが生んだはずの疑問が今でも同じように繰り返される。暫く眺めていると、徐々に小さくなり赤さも落ちる。長野県境に近づくと再び沈み、次に昇ったときにはいつも見るお月様となっていた。

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