undergarden

凡庸性

展示を終えて東京へ戻ると、半月前の喧噪がそのままの形で部屋に残っている。懐かしいというよりもどこか他人の部屋のようで、暫く玄関に突っ立って眺めていた。出て行く時の、疲弊しきった身体を支えていた自尊心はすっかり吹き飛ばされてしまったが、生活から切り離された部屋にはまだ少し残っていて、それが少々愛おしくも思えたけれど、この中でもう生活は出来ないと掃除から始めた。確かに得られた何かはまだ輪郭すらぼんやりと淡い。焼き付いて離れないあの光景を目にした時に、カメラに伸ばした手を止めたのは何故か。勿体無いことをしたと思う反面、撮らなくて良かった、と思っている。きっと全てを撮りたいわけではない。
凡庸さ、という言葉を雨に濡れた軽井沢から車を走らせながら強く噛みしめる。それを見つめないとな、と。
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black & light

本日17日から31日までの2週間、軽井沢のカフェ春やにて写真の展示をしています。TOPOS展の初回、black & light、吉村正美女史(版画家)と。今日は16時頃から18時くらいまでオープニング。昼過ぎくらいからはいます。後は未定。長野には滞在しているので、どうしても、という人は携帯ででも呼び出してもらえば、都合が付けば2時間程で行けるかな。考えてみれば初めての非デジタル作品。10日前にやっと1枚目のプリントが決まったような状態、というよりも、搬入現場でどれを展示するか決めるような状態だったから、間に合って本当に良かった。他に作ろうとしていたものはあったのだがそちらは時間切れ。でもまぁ展示空間を見る限り、あっても展示しなかっただろうな、と思う。
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710

7月に入り漸く少し落ち着いて、日没と共に暗室作業に暮れる。予定では既に終わっているはずだったのに、延びたり、縮んだり、縮んだり、縮んだりするスケジュールに翻弄されて、6月末の1週間のうちに締切が3件並んでしまい殆ど手が付けられなかった。中々言えない、忙しい、という言葉を、これはまだ余力があってこそ言いたい言葉なのに、それを口にしなければならない度に心が病む。今回ばかりは少し痩せてしまったんじゃないだろうか。
何れにしても17日からの展示に間に合うのか、という状態。7月に入った時点で1枚もちゃんとプリントがあがっていない。空いた時間にデータは取っていたが、プリントを始めてみると、適正値への従属のような姿勢に悲しくなって、一度全て破棄。この標準化への道は何をするにしても一度は通らねば気が済まないのか、と改めて自身の不器用さに呆れる。巧さと良さは違う。同居することは多くあるにしても。
慌ただしさの中で生活リズムは狂っていたけれど、暗室作業のお陰で完全に昼夜逆転した。専用暗室では勿論無いし、全暗に出来るような部屋でもないから、暗いうちにしか出来ない。だから午前4時頃まで。それですぐ寝られれば良いのだが、薬品の為なのか目が冴えまくっているから眠れない。仕事をして、朝食(夕食)を取って、暑くなり出す頃になってやっと眠れる。しかしものを作るということはどうして苦しいのか。イメージではもっとハッピーな感じなのだが。終わりの為に続けられているようなもの、なんだろうな、これは。
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夏前

どうもMacBook Proが浮いているな、と裏返してみたら裏蓋が少し浮いている。酷使している上に乱暴に持ち歩いているからしようがないと、使用に不便は無いから放っておいたが、今回、長野へ帰省している間にバンッと外れて嵌らなくなってしまった。流石にこれはおかしい、とバッテリーを外してみたらバッテリーがメタボになってる。なりかけ、という感じか。電池の持ちも大分悪くなっているし新品を購入しようか、と思いつつ、それでもこの膨張は無いよな、と東京に戻ってからGenius Barに予約を入れて持って行った。延長補償に入っているわけではないからとっくに補償期間は過ぎているし、そのことで対応してくれたスタッフの方も悩んでいたが、結局、通常使用から考えると少し早い時期での不良ということで無償交換。現場判断でこの対応は嬉しい。安心出来るというか。震災時のディズニーランドのキャストの対応もそうだったのだろう。東電やソニーの誰がどんな判断で出した結論なのか見えない対応は悪戯に不安を煽る。でも両隣の持ち込み相談をしていた人も同じバッテリーのメタボ症状で、おいおい、と。夏場はバッテリーは外しておいた方が良いか。続けて長野から持ち帰ったF3の点検の為に新宿Nikonへ。ただこちらはある程度想像はしていたが重症とのこと。直すならば中古購入した方が安い。まぁ買わないけれど。
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キャブ

バイクなんて、と長い間思っていた。乗りたいという欲求はあったが、それは好奇心とスキルの問題からであって車への気持ちとは比較にはならなかった。昨年、免許を取りに行った時も殆ど変わらず、それに移動方法の確保という切実さがプラスされたくらいだった。
冬の始まりに紹介されたスカチューン仕様のセローを、春の終わりには乗りたい、と若葉マーク向けへのデチューン整備をお願いし4月の末に完了の連絡を受けた。なかなか帰省の予定が立たず、移動の為に移動する、という言葉に起こしてしまうと何となく虚しいトートロジーのような理由を横に置けるような理由を待っていた。この時は所有欲が勝っていたか。まぁ乗るまでそんな感じだった。車を手に入れる時と同じようなもの。早く乗りたい。だが、その後が違った。車はそれそのものに気持ちが向くのに対して、バイクはフィジカルに向く。速度に応じて身体に感じる大気の重さや身体と連動する車体の挙動。今身体がどうあるか、という情報を取ろうとする。生憎、乗る度に何らかの不具合が起こるので、再整備をしてもらうことになって手元にあったのは短い時間だった。ただその割に残った空虚が大きい。過去、少々やんちゃな車に乗っていたからこういうことには少しは慣れているのだが、感覚の一部を取り上げられてしまったような気持ち。数年振りにボールを蹴った時に、もう昔のようにサッカーは出来ないのか、と感じてしまった時と似ている。まぁでもこれは来月の帰省時にまた身体に戻る。
様々なことに気づくのが遅いと最近やっと気づき始めた。ヒントは周りの人が沢山出してくれているのに、時にはダイレクトに伝えてくれるのに、中々反応出来ない。いや、胎児の反射くらいには反応はしている、と思う。けれど出てくるまで長い。鈍感、と敵を討つような目で言われたのは中学生の時だったか。その意味にも今更気づいている。
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