呟き
混んでいればどこでも良いから座りたいな、と思うのに、空いているとなんだかどっちでも良いやと立っていたりする。朝と夕のラッシュの丁度真ん中あたりだろうか、と昼過ぎの地下鉄に揺られていた。景色の変わらぬ真っ暗な窓をぼやっと眺めている。その中にふと知らぬ男の姿が浮かんだ。目の周りや額に深い皺が刻まれている。無精髭や頭髪には白いものが混じっていた。暗い部屋に、どこか小さな窓があるのか、そこからの強い光だけが差し込んで、斜めに顔を浮かび上がらせる。ペドロ・コスタの映画の一場面だろうか。俯き加減で視線は見るともなく、でも一点から動かない。そしてゆっくりと何か呟いた。
電車を降りてから何を呟いたのか、こちらの空想のようなものだから分かりそうなものなのに、少しも分からない。日本語では無かった気がする。英語でも無かった。ペドロ・コスタってことなら、ポルトガル語かスペイン語か。あいつは死んだのか。この町を出よう。神よ。プリンが食べたい。もしかしたら本人でさえ気がつきもしない呟きだったということもある。声にならずに口だけ震えるように動いていたような。嘆き、のような気はする。
つぶやき、と言ったら今はtwitterを思い起こす人が多いのだろうか。つぶやいてはみるもののこれが一体何なのか未だに分からない。イージーさに惹かれていたけれど、それも何だったのか。つぶやきが魅力的なのは、そこにその人がいるからで、情報だからではない。そこに人が見えなければ、0と1の羅列でしかない。まぁ見えることは見える。愛でも何でも、言葉ではなくてメールなりでの送受信で構わない時代だし。
最近は、twitterが情報(操作)として扱われることが多くなった。企業でも政治でも。テーマパークに人を集めてがばっと掬おうとしているようなものだろう。そうなると人は離れると思う。選べるにしても、ここまでの色んな所でのプロモーションは流石にうざい。ワールドカップ放送の際の政党のCMくらい気持ち悪い。