undergarden

ここは蝉のいない土地なんだよ、と昼間に聞いて、あまり頻繁に足を運ぶ所ではないが、そうわれると鳴く声を聞いた記憶はない。まぁ元々、意識して聞いているような音でもない。でも東京へ来てからは、それを酷くうるさいと思うようになった。何匹も鳴かない。一匹だけ、鳴く。そこら中で鳴いてくれれば、夏の音として意識もしないのに、砂漠の真ん中で嘆いているのか、勝ち残った己を誇示して吠えているのか、兎に角一匹だけだからうるさい。でも地上に出てからの短い生命に、人間などに構っていられないのだろう。小便も引っかけたくなる。長野で住んでいたアパートでは、たまに玄関の前にポツンと動かぬ蝉が落ちていることがあった。いつどこで絶えるのかも分からない。そんなこと一向に気にもしない。鳴いて、嘆いて、叫んで、吠えて、ポトリと落ちる。理解など到底出来るものではない。朝方、また一匹、こちらの睡眠を妨げるように、うるさく鳴き出す。
使わない器官が退化するように、写真もきっと退化している。人はあまりにも創り出そうとし過ぎた。ような気がする。人は写真を人の言葉を伴ってでしか扱わなくなった。写真はまだ語っているのだろうか。もう小さな呻きしか発せられなくなってるのだろうか。聞く耳を既に失ってしまった。ような気がする。心臓を抉り出したくなるほどに、失った何かが分からない。

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