夏休み
盆休みが無くなった替わりの休みが二度の変更を経て、日曜からの4日間になり土曜の夜に長野へ。びんずるの直後に着いてしまったので、駅前はアルコールの匂いで満たされていて、気分が落ち込む。簡単に夕食を摂ってさっさと帰る。
休息をとるはずが、戸隠、新潟県(燕市まで)、上田、とカメラを携えて動き回っていた。だが、写真を撮る、というよりも、そこへ行く、という事が先行していたように思う。これは逃避だと、自身で気付くのは簡単だった。長期の休みになったらやりたい事もあったし、お盆に重ならなかったことで長野ですべきことも無かったのに、すぐに長野へ帰ろう、と思ったことからでも、帰りの新幹線の中で撮りたいものが何も浮かばなかったことからも容易に辿り着ける。ずっと何かを撮りたがっていたのに、その何かが分からない、というのは結構辛い。今回、色んな場所へ身体を運んで、その中で撮った写真を東京へ戻ってから眺めてみると、まぁ動いた割にはいつも通り枚数は少ない、ということが目立つけれど、何か、ということを意識していたお陰か、自分の写真が何を撮っているのかということを見られた。言葉にすれば、それはただ、光景、なんだと思う。現実、と言わなくても、マチダさんも言ってたように、気が振れてるように思われそうだ、と苦笑うしかない。けれど、まぁそうなんだ、と。でも、だから、写真で稼ぐのは自分にはやはり難しそう。これもまぁ苦笑うしかないことか。