最期の夜に
2785日、7年と7ヶ月と16日、東京で暮らした。明日には離京する。
己だけの記憶などという不確かなものにどれだけの価値を見出せるものか分からないけれど、荷物を業者に運び出してもらってからいつものように散歩に出ると、ちょうど夕暮れ時ということもあったためか、多少は感傷的になった。
持ってきたのは煙草とギターだけ、だったら格好もつくが、まぁ陽は当たらぬが渋谷区の6畳1DKの部屋が埋まるほどのものは持っていた。物として失ったのはエンジンをオーバーホールしたばかりだった車だったが、それもフルサイズのカメラへと変わったので、カメラマンのアシスタントの身としては妥当だったろう。そもそも上京したのも急な話だった。知識も何も無いのに採用されることは無いだろうと思いつつアシスタントに応募したのが10月の末頃だったか。知人の所に遊びに行ってくると言いながら面接を受けに長野から東京へのバスに乗ったのが11月の中頃。採用の通知は12月中旬のことで、それから年を跨ぎながら部屋を探して、1月末には上京し働いていた。応募したことは誰にも言っていなかった。もしかしたら採用の連絡が来るまで黙っていたかもしれない。
それから7年と半年ちょっと。住処は板橋になり部屋は陽当たりの良い2Kとなった。しかし本質はあまり変わってはいないようだ。離京も上京のときと同じように慌ただしいものとなった。決めてか今日でちょうど2ヶ月ほど。大凡が整ってから家族を含め話しをした。何でそんな場所に、仕事は、不安はないのか。まぁ言われることは分かっていたし、ほぼその通りだった。だけれど、それは今に始まったことではない。かと言って開き直って良いわけでもないが。
不安は勿論ある。今は奇跡的に存在を認めてもらえていて割と安定した生活が送れている。その価値を期待に胸を膨らませて見失っているだけかもしれない。しかしながら、物足りなさが絶えずあった。それは安定とは違う何かだと思う。裏返しとは言わないが、近づけば離れる何かだと思う。それが何なのか知りたい。だから、ある種の不安を認めていないと生きていけないのだろう、きっと。それが、今思う私という人間です。
方々、ご迷惑をお掛けしますが、これからもどうぞよろしくお願いします。