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冬の終わりに

なかなか肉の付かないこの身体に寒さは大分堪えるけれど、冬は良い。長野の天気予報にはまだ雪マークが付いてはいるが、想像しても、窓に当たった瞬間に水滴となるような霙で、パサッ、とか、カッカッといような音のする、これから積もりますよ、という雪ではないことに、冬は終わったのか、と少し寂しくなった。
木枯らしが吹く頃には心が浮つき始める。毎日天気予報をチェックして、北海道、東北と行く予定もないのに雪マークが付いていないかと巡り、ライブカメラを見る。何に呼ばれているのか、まぁ雪ということになるだろうが、何となく見に行かなきゃ、という気になる。東京では降らないのに、空を見上げたりする。
世界が終わる前ってこんなものじゃないか、というような静寂感。凍てつく大気に肌を晒して白い息を吐く。灰色の空から大粒の雪が真っ直ぐに落ちてくる。
暖かさ、を作るのが冬だけだからだろうか。失った世界で得るものが大きい。満たされないことが満ちていく。
季節が逆戻りしたような気温の冷たい雨の中、靖国通りの桜は既に咲き始めていた。雪はもう降らない。桜の花びらと一緒に冬を剥ぎ取るような強風に、毎年、春が来たな、と実感している。
2年ほど前に知って、今年こそと心に誓った冬の終わりに催される山村での行事は、今年も仕事で見送りとなってしまった。その仕事も納品となり、来週、長野へ行くけれど、冬を既に仕舞ってしまった気持ちは、どうか寒さが残ってませんように、と都合よく願っている。

雨上がりの裏路地ですれ違った人に見覚えがあるような気がしたが、全く思い出せない。場面は出てくるのに音声がなく、状況が分からない。夕方、自転車のパーツが届き、やっと乗れるところまできた。明日の朝にでも走ろうか。

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