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言葉

誰かと話をしなければならない日々ではないから、一言も発せずに過ぎる一日もある。言葉が他者との共通認識を持つ為にあるとすれば、だからまぁ尤もで、それ故、とだけとは言えないけれど、言葉を持つことが難しいと思うようになってきた。ただ好き勝手喋ったりするのは良いが、欲望のままに吐き出しているようなものだから、知らずに傷つけてしまっていることもあるし、限られたテリトリーの中でしか使えない。昔から携帯メールの返信が素っ気ないと言われ続けてきたけれど、これも含まれるだろう。けれど、その中でも自分の気持ちをそのまま伝える言葉は難しい。寄り添うような言葉は難しい。誤解を恐れて、取り繕うようになって話が長くなったり、多方面から言葉を持ち出して一語を囲むようにしてメールが長くなったり。
何となくテレビを見ていて、前の総理大臣は漢字が読めない、と叩かれていたな、と思い出す。でも、個人的には今の総理大臣の方が問題は大きいように思う。英雄像に自分を重ねて、それに酔って言葉を吐く。伝わる言葉では無いし、伝えようともしていない。言葉を使うことの重要性をちっとも理解していない。まぁテレビに出ている人が全般的にそうだから、テレビがそういうものなのか、若しくはテレビで文化がそうなってきたのか。かと言って、こちらがそれに倣って諦めたくはないから、28歳目前に、何か既に済ませておけよ、っていう言葉の問題で頭を悩ましていた。
結局、相手に寄り添うような言葉(この言葉自体が少々気持ち悪いけれど)は、自身を含んだ人というものを知らねば持てない。突き放すにしても、距離を縮めないにしても。でもまぁ言葉だけのことじゃないか。一人で生きられない限り、自分も相手も誰にも、フィジカルもメンタルもある。と、思いつつ幾つかのお祝いメールに、相も変わらず素っ気ない返信をして、誕生日も既に過ぎた。

以前から日本語での検索結果の乏しさに、このやろう、と思っていたが、それが本当に恐ろしくなる。国内の貧富なり学力なりの格差が取り上げられて久しいけれど、日本語と英語の検索結果の情報量の差は、国内の問題に関連すること以上に大きいように思う。ネットが全てでは無いけれど、でも普段使っているだけで取捨選択を繰り返す回数が違う。検索結果の精度が更に上がれば、平均化されるだろうけれど、それでも基本的な能力の差は出てくるに違いない。下らないことで、考えも浅く、すぐに法規制に走ったりするのはこの為なんじゃないだろうか、という疑いさえ持ってしまう。ただまぁ言語の問題だから、どうしようもないことでもある。素晴らしい翻訳技術が開発されたら解消されるだろうか。

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