ユリ
今に始まったことではないが布団に入ってもなかなか寝付けず、部屋が仄かに青く染まりだした頃にやっと夢に落ちる日々が続いていた。長野に帰省してから緊急地震速報や余震で起こされることは無くなったが、どうにも苦い夢ばかり見る。昼頃なって漸く布団から這い出す姿には、でも快活さの欠片もなくて、戦場からやっとの思いで逃げ出した兵士さながらに疲れの果てあるようで、これならば寝ない方が良い、といつまで経っても布団に入らずにいると今度は頭痛が襲ってくる。
別に悩む必要など無いことだ。手を離しても何も変わらない。それでも、思惟に句点を付けられない状態に昼夜問わず頭を抱える。兎に角文章化しながら整理してみよう、とキーボードを打つものの、結局文章化出来ないから悩んでいるんじゃないかと気づくだけで終わる。そんな状態に陥らない為に、この訓練のようなログをもう既に6年も続けているのに一向に実になった気がしない。もっと楽しい文体にでもしたら、といつか言われた気がするけれど、そんなの整形しろと似たようなものだ、と、そうねぇ、と言いながら思っていた。
そんな日々の間にも心地良い目覚めに不意に出くわすこともある。そんな朝に停滞している思索を続ければ案外あっさりと片が付く気もするけれど、ちょっとした余裕(油断)を突いてささっと布で覆って隅っこの方に寄せて、散歩になんて出てしまう。思惟回路は取りあえず遮断させてしまった訳だから、後は感覚しか残らない。空が綺麗だなとか思いながら上を向いて歩き、保育園から聞こえてくる子供の泣き声が辛くて早足になり、珍しく嗅ぎ分けた花の香りに誘われて花屋に入ってしまう。だから帰り道はユリの花と歩くことになった。
花瓶に差して居間に置かれたその花は、他にも花はあるにしろ、兎に角目立ち皆に、どうしたの、と母が聞かれる。そうすると母が少し困ったような笑ったような顔をこちらに向ける。こちらに理由を聞かれても答えようもなく、そもそも答えてもらえると端から思っていないらしく、本人を脇に追いやって皆で首を傾げながら、28年の人生で初めてのことだよ、などと言っている。まぁ間違ってはいない。怪しむのも分かる。皆がいない隙に隠れて、窓際に連れて行ったり、廊下へ連れて行ったりして、カメラを向けているのだから。