undergarden

二十五の夜

往復での運転時間で言ったら4時間ちょっとと大したことではないけれど、朝5時起きで、夜帰るまでの間も休むことは出来ないから、いくら25歳だと言えども人間だがら流石に疲れる。自分以外は寝ているという見慣れた帰りの車内で、これって結構危ないよね、と沈む夕日を見ながら思う。運転していることの意味は形式的なこと以外無い。ただ、運転することで得られるロケーションは得難いものだな、と思う。出来ればロケバスで、と思ったりもするけれど、ロケバスなら勿体ないと思いつつもやはり寝てしまうから、車窓からの景色はカットされてしまう。何れにせよ、全員何事も無く無事だったことで安堵する。
かくこと以外に大事なことがあるのか、とポロッと口をついて出た言葉に苦しむ。そのこと自体の重さというよりも、軽さに。重かったら潰れてしまえば良い。軽いからこそいつまでも手の上にある。そのことに気付いてしまうと、というよりも、再び意識の内側に入れてしまうと、行動が伴っていないこともあって、辛い。では、じゃあ行動に移せば、ということになるのだが、軽いからそう簡単には踏み込めない。でも、取りあえず今日は、そんなことに悩まされる夢をみても構わないから、まず寝よう。眠い。


今日のテーマパークは醜悪そのもので、こんな気持ち悪い思いをしたのは初めてかもしれない。様々なものがあって、様々な背景があって、足りないものなど無いような場所だったけれど、それが何とも、樹々の植え方から何まで、人間臭がしている。それがあからさまならまだ良いけれど、それを隠したというか、自然と調和してるのよ、という感じが気持ち悪い。ほら楽しいでしょ、綺麗でしょ、素晴らしいでしょ、と質の悪い信仰のように、そこら中に思惑が充満していて、だから、そこにいた全ての人が何かの役を演じているように見えた。あの人たちが楽しそうだからこれは楽しい、あの人が良いって言ったから良い、という連鎖が幾重にも繋がって、最終的にはそれは受け入れざる負えなくなるものでしかなくなる。このことが間違っているとは言えないけれど、最近はこれに気をつけて、取りあえず自分の反応を確かめてからアウトプットするようにはしている。何となく、鈍くなってしまう気がするから。

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