undergarden

北上と

前夜に車を借りて北信濃を巡る。いや、結果的に巡ることになった、という方が正しい。行き先はぼんやりと麻績あたりかしら、と考えてはいたのだが、玄関を出て雨空の雲行きを見る時の癖で飯縄を見上げたことからか、気づけば車を飯縄に向けていた。先日訪れた畑の横を抜けて戸隠を回り黒姫に出て、野尻湖を経て斑尾へ。そろそろ下るか、と豊田方面へ出るつもりが、引かれるように飯山方面の、しかも細い方の道に入り込む。普通車1台分しか幅の無い落ち葉の散乱する道を、これは抜けられるのか、と心配しながらも道は繋がって戸狩へ出て、新潟か飯山か、と標識を見て迷いながらも車を返却せねばならないからと飯山市街へ向かい、豊田、中野を通り、小布施、須坂と幾分寄り道をして長野へ戻った。朝、家を出る時から、昼食はそうげんラーメンで、と決めていたが、中野へ着いたのは15時過ぎで店は既に昼の営業を終えて夜の営業の為に仕度中になっており、ただ諦めるにも気持ちがラーメンだったから、他の店も回ってみるがどこも同様。仕方なく一度実家へ戻り荷物置いてから、返却がてら通り道にあった幸楽苑へ16時半頃ラーメンと餃子。409円也。
どうも北に行くのが好きらしい。これまで知った北信ばかりだったので、先月は鬼無里から白馬へ出て安曇野へ行き、先週は小諸から小海を通り南相木村までと南へ行った。だがどちらもしっくりこない。気持ちの慣れとかただ、南、という語から受け取る雰囲気なのか。移動中、気づけば北へ北へと意識は広がっている。今日も車を返す予定が無ければ、戸狩での分岐で、又は飯山市街手前で北へ向かっただろうと思う。新潟を超えて、東北、北海道、と光景を浮かべる。そういえば長野から見れば東京も南ではある。既に住んでしまっているから気にならないのかしら。でもやはり散歩で向かうのは北側が多い。


帰る、ということもどうも苦手だ。帰るのだ、と意識した途端、動く気失うし目の色も失われているだろう。それを知っているから、出かける前に帰ることを考える。考えると厭になる。それで出かけなくなる。行きっぱなしで良ければどこへでも出かけたい。ただ、帰る場所は必要、という矛盾。これが嫌なのか。行けるところまでは自力で行くから、帰るのは他力でというのは難しいか。どこでもドアが行った先にあっても良い。

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