千疋屋
これまでも何度か立ち止まってはその値段から通り過ぎるしかなかった千疋屋へ、2月後半から3月いっぱい掛かりきりになった仕事の打ち上げで連れて行ってもらいご馳走になる。千疋屋総本店日本橋店。平日の昼間だというのに、ハイカラな老人やセレブな妻達で賑わっている。土日ともなれば並ぶほどになるらしい。不況だというのに。不況だからか。まずは調査しておいたプリンアラモード。プリンが美味しい。早々に平らげたこちらを見て追加でスペシャルパフェもどう?と勧められ、お言葉に甘えて追加注文。アイス美味しい。肝心のフルーツは、普段あまり食べないのでイマイチはっきりした感想が持てないけれど、嫌いの部類に入るバナナを折角だからと食べてみた。チョコが軽く掛かっていて、チョコバナナなんて信じられない、と思っていたのに、美味しい、食べられる。ただ、スイカなんかはやはり暑い夏に冷やして食べたいし、みかんは冬に炬燵に入って食べたい。千疋屋、という名前自体が、季節感の替わりになっているのだろうか。無駄に広くでかいビルに入っているのだから、もう少しスペースは欲しい。
予定より長く、結局2週間近く長野に帰っていた。一人で部屋にこもっている時間が長く、そのことに慣れているから、家族でも誰かがいる、というのは以前はちと辛い感じもあったのだけれど、それが抜けていた。既に妹二人もそれぞれの家庭を作って生活をしていて、頻繁に実家に顔は出すものの普段は母も一人。それぞれに言えないこともあるのかもしれないし、生活をともにしていないこともあるのかもしれない。帰った途端、次から次へと母は話を繰り出し、こちらは全く訳の分からないテレビ番組をぼんやりと眺めながら、聞いている。ある程度話し終えると、ふと時計を見て、今日も寝るのが遅くなった、と風呂に消えていく。こちらも、部屋に戻り持ち帰ったラップトップの前に座る。風呂から上がったような音がしたなと思っていると、スッとドアが開いて、風呂で思い出したのか、追加の話をしておやすみと消えていく。何となく、ふーっ、と息をつくような気になって、再びパソコンに向かう。そんな日々は、でも、こちらには思いの外大きく響く。東京に戻ると、そうやって話す人は部屋には勿論いなくて、といって別段欲しいとも思わないけれど、長野を発った時から寂しさを少し引きずっている。
千疋屋一度も行った事ないから羨ましいよ~。お母さんも、玄太君が家に来て、超嬉しかったんだろうね。
この前、普段は居ない弟が、東京の部屋に泊まりに来て、帰ると、色々会話出来て、この上なく幸せだったから、その気持ち想像つくわ。
私は、家に帰って話し相手が居ないのは、超ストレスだけど、そんな生活にもう4年耐えられているのが、不思議です。
人間って、望んで居ない環境だとしても、なんやかんや適応してしまうものなんね。でも、人間誰か好きな人と住んだ方が自然だと思う。
玄太君、恋人と住めばいいのに。きっと楽しいよ。
望む環境ってのも難しいよね。
最近は、ゴールを見据え過ぎちゃうと、間にある様々なことを見失ってしまってるような、しまったような、感じがあるよ。
千疋屋へは、まぁ是非。幸せになれるかもねぇ。