小雪
多摩ニュータウン辺りは理科室の骨格標本のような、どうも気味が悪い雰囲気がして苦手だったが、久しぶりに多摩センターで降りると以前のような感じは薄れた。こちらが歳をとったからか、それとも都市が共に生きて馴染んできたか。ただ建造物は相変わらず、骨格標本に分厚い鋼で拵えた鎧を着させている如く映る。ペデストリアンデッキの先の公園では、学生らしきグループとカップルが陽も影って冷たい風の吹く中、それぞれにきゃっきゃっとバレーボールをしていた。こんな光景を見たことは嘗てあったか。映画やドラマなどの背景、それとも昼間の再現ドラマか、実際に見たのは初めてではないだろうか。何て健やかに間違ったのだろう、と、気温の下がる中、こちらは肩を丸めて、駅へ戻った。
夏場は殆ど気持ちが向かなかった映画を、ここの所はまた観るようになった。最近付いた癖なのだろうけれど、子供が出てくると、その子供の感情にぐっと寄ってしまう。甥や姪を重ねてしまっているような気はするが、哀しそうだとこちらの表情が強ばり、嬉しそうだとこちらも表情が緩んでいる。今年は頻繁に帰省しているが、それでも成長をその度に感じる甥と姪に会ことが帰省の楽しみになっているから仕方がないけれど、映画がちと見辛くて弱る。もうすぐ、1歳と3歳。
しかし、1年も2年も前に公開された外国映画が日本で観られないとはどういうことか。全くのインディペンデントなら分からなくもないけれど、それなりの映画祭で受賞していても観られない。儲からないからだろうか。それとも、見せないことで語学を勉強する気持ちを煽って、儲けるためか。人を撮らない映画ばかりを流すこの国に何が育つだろう。それを考えるとちと恐い。