undergarden

泣いたり

長野へ降り立った夜は流石に寒さに震えたが、2日も経てば慣れてくる。と言いつつも、しまむらにてレッグウォーマーを購入。男性用はアンクル用しか無かったので女性用。少々きついが快適。でも風はまだ冬のものではない。
小さなことでも見逃してはならない時もあるはずで、その時を過ごしている妹の気遣いの無い言葉に哀しくなる。考えれば考える程、小さな思いが積み重なって必要以上に大きくなっていく。めでたい席の前夜のことで、これ以上大きくならないようにと早めに寝床に入るがなかなか寝付けなかった。あちらへ行ったりこちらへ来たりと何度も寝返りを打ち、その度に布団に潜ったり顔を出したりゆっくりと哀しみから抜け出しながら、ぼんやりと小学校の時の担任を思い出していた。怒る時に泣いてしまう、新任の男性教師だった。始めて見た時にはかなり驚いた。怒りながら泣いているし、大人の男、しかも先生が泣いている。でも、その光景に慣れてくると、泣かなければ良いのにな、と思っていた。泣かなければ、怒られるだけで済むのに、と。でもその先生は、いつでもやはり怒りながら泣いた。その涙の理由に思いを届かせることは当時は出来なくて、どこか癖のように思っていたけれど、でも、怒られているということよりも泣かせてしまっていることに罪の意識を感じていたように思う。こちらも同じように、二度、怒りながら泣いたことがあった。どちらも、哀しくて、その理由をそっくりそのまま伝えたくて、過剰なほど伝えたいという思いが強いのに、どれだけ言葉を尽くしてもどうすることも出来ないし、伝わったとしてもその後は本人が気づいてくれるしかない。孤独感と無力感。伝えようとすればすればするほど泣けてくる。
あの先生は今でも同じように怒る時に泣いているのだろうか、と眠りの淵で気になった。あんなことを続けていたら、身体も気持ちも持たないんじゃないか。卒業式の時には、ちょっとくらい泣いた方が良いんじゃないか、などと周りを伺いつつ考えていた小学生は、直後にあった離任式で唐突に知らされた担任の異動には、自身も卒業してしまうというのにボロボロと涙を流した。


極端なことを言えば、歩くときに右足から踏み出したら良いのか左足から踏み出したら良いのか、という相談が続いた。そんなことは知らん。歩き出してみなければ分からないし、それが不安ならば止まっているしかない。あたしは右足からが好きだけどコンビニに入るときだけは左足からにしている、なんてのは私以外に意味は無い。私にあなたのがどう思うのかを教えて欲しい、とでも言っているのかしら。聞くならば歩いた後にしてほしい。

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