盛岡
見知らぬ地で、程々に酒に酔った頭で、パソコンのモニタを眺めているうちに寝てしまった。起きてみると、テレビでは眠りに落ちる前と変わらずオリンピックの野球が流れており、時計を見ても30分程のことだったが、何故ここでこうしているのだろうか、と掌の上に置いた圧縮させた時間を転がすように狭いシングルのビジネスホテルの部屋を見回した。何をしているのかも、何故ここにいるのかも、全てを分かっているのにどうしても腑に落ちない。取りあえず翌日の準備をしようと立ち上がると、全身にへばりついていた乾いた泥がボロボロと砕けて落ち、椅子を作っていたはずだ、という思いが旋毛のあたりに残り、それからまた土に染み込む水のようにゆっくりと身体を覆い始めた。翌朝は樹齢500年程の太い幹を手に入れ、継ぎ目の無い緩やかな曲線を座板としたベンチを作ろう、と浮かんだ瞬間に恐ろしくなって、風呂に湯を張り飛び込んだ。アルコールが蒸発していくと、浮かんでいた情景や暮らしが湯気となって消えて行く。風呂からあがると、まだ野球が流れていたが、どうやら日本は負けたようだった。
お盆は仕事で初めての盛岡へ。柏崎を訪れた記憶も新しく、震災の爪痕が残っているのだろうかと窓の外に目を向けるが、柏崎で見たような光景は無い。帰宅して調べてみると、建物被害が少なく土砂災害が多い、とのこと。二度目の東北だったが、やはり空が広くて近い。天候は一進一退を繰り返していて、仕事の上では生憎の天候と言わざる負えないようだが、個人的には美しい空を見られたと満足する。
13日の夕方に、玄関先でかんばを燃やす母の姿が目の前を過る。一度東京に出て長野に戻ってからは、毎年、誰がいようがいまいが、その姿を見ていた。小さな炎の向こうの母は、母と言うよりもひとつの固有名を持った人間に映るのを不思議と眺めていた。今年は妹がその姿を見ているのだろうか。生きるために働く、という。いつも空しさと共に聞こえる。