undergarden

虫のしらせ

どんな因果なのか、縁あってのことだったのだろうけれど、仕事で長野へ帰省した夕刻、たまたま通りかかった道の脇に立ててあった告別式の案内看板に目が止まる。聞き慣れない姓が書かれていたが、知った姓だった。信号待ちで車内から覗いてみると、既に終わったらしく、入り口辺りに数人疎らにいるだけで、友人の姿は見えない。違うか、と青信号で過ごした。それが週末のことだったが、週が明けてもやはり気になって電話してみると、暫く話してはいないが、変わらない調子で電話に出た。やはり違うか、と思った矢先に、母が逝った、と告げられた。こんなにも急いで話す奴だったか、と入る隙も与えず際限なく喋り続ける友人に、こちらはただ相づちを打つことしか出来ない。何れにしても言葉が見つからない。最期を看取ったのが彼で、それまで付きっきりで看病したのも彼だった。不況の煽りを受けてリストラになり、次の仕事を探している最中に倒れ、それから3ヶ月、心配させぬようにたまにバイトだと言って何も無い家の外へ、重い身体を持って行く時以外、自宅でずっと友人が近くで看病をしていたという。
ここ数日さ、まぁ葬式だとか色々あって落ち着いてる時なんて無かったけどさ、でも家に帰ってふと気づくと、母親の面倒を看ようという気になってるんだよ。骨が目の前にあるのにさ。骨は骨でしかないよ。何でもない。手を伸ばしてもどうしようもないから、代わりにもなりはしないけれど、母の前では吸わなかった煙草に矢鱈と手が伸びて、気づけば二、三箱空いてて。酒も幾らでも入る。酔わないんだよ。あぁ一升飲んだな、って分かってるんだよ。でも、酒が喉を通る度に、次の酒を口まで運ぶまでの間に隕石でも落ちてきて、それで俺死ぬかもな、と思うんだ。
東京へ戻っても、布団に入ると友人との長電話を思い出す。知っている人の死は、それ自体辛いことではあるけれど、それよりも、その周りの人の心痛を案じることが辛い。そのどうしようも無さも。彼は、こちらも父親を亡くしているので、どこか同じ悼みを共有した者として話をしていたが、こちらは同意を求められる度に、薄情だ、と自身に向かって言いながら曖昧に答えていた。共有など出来ないし、するものでもない。それぞれ受け入れていくしかない。こちらは一時、和らげてあげることしか出来ない。彼のことを案じながら、でも、いつの間にか、自分と父の朽ちた繋がりを掘り起こしている。


煙草を挟む指の先から痛みが広がっていくような寒さに、冬が来たな、と身体が構える。こんなにも素直に肉体は反射するのに、記憶や気持ちには益々埃がかぶっていく。記念日とまではいかないが、密かに、大切にしていた日付も、既にいつだったのかも分からない。事柄は覚えているのに、その時の気持ちは恐らく覚えていなくて、事柄から想像して気持ちが象られる。だから、これが、当時の気持ちなのか、今の気持ちなのか、比べることもできない。

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