5年
5年前、長野駅東口から見える気温計は午前0時に0℃と長野のこの時期ならば高い気温を表示していたが東京の気温を背負ったまま薄着で帰省した身体には凍てつく寒さに感じた。確か土曜日だった。日曜日には激しい雨が降り、それに逆らうように煙は上へ上へと向かって行った。
今日はつくづく記憶の頼りなさを感じた。記憶の中の事実が幻でも見ているかのように掴めず、記憶から消え去っていたはずのものが突然鋭く尖った輪郭を持って現れたりする。また苦労せず出てきた記憶が明確だと思っていたのに日にちなど順を追ってみると事実とは少し異なっていたりと、自身の能力の限界、若しくは低下を目の前に突き付けられた。ウェブ人間論ではないけれど、この数年の端末の前での生活は記憶を反復無しの記録にしてしまったみたい。