undergarden

あれから

—あなたは年齢的に安定思考に入っているだろうから、大丈夫ですね。風になろうとは思わないでしょう?

22歳の少々やんちゃそうな青年と並べられ、そう言われて卒業証明書を渡された。そんなことないよ、とは言わない。そんな年齢だから。風になろう、とは思わないけれど。プレッシャーなのかな、その歳にもなって無茶なことはするなよ、と。まぁ何れにしたって年齢では括りきれない。
いつの間にか10月が終わっていた。気温も下がってエアコンからは暖かい風が吐き出されている。冬の入り口に近づいたからだろうか、夏の間、もやっとしてウロウロとしていた思いが少しずつ落ち着いてきた。いつだって変わらないけれど、写真撮ろうかな、と。ただ、撮りたい、とはいつだって思わない。良いなぁ、とは思う。撮影者の意志など出来るだけ排除した方が良いと思っているからかもしれない。撮影行為なんて、だから、不毛なんだな。フラフラとしてシャッター押すだけで。そこにあるものをそう見ただけで。撮影者の表現なんかではない。ただそこにあるものを、ただそこにあるというように撮るのは難しい。撮れたら撮らないだろう。まぁだから少しずつ。
夏の初めからコンパクトカメラを持ち歩いていたが、どうも背面の液晶モニターで見ながら撮るというのはしっくりこなくて、光学ファインダーでも付けようか、と展示品を手に取ってみたが感じは変わらない。結局レンズから入る光がダイレクトに見られないと駄目だということが分かる。液晶を見てる時点でシャッターを切る前から解釈が複雑に絡んでる。携帯性を考えるならばやはりライカしかない。と言っても買えないから、重いけれど一眼レフを頑張って持ち歩くか。もうちょっと寒くなれば、そんな力も湧く。きっと。
バイクは思っているよりもずっと寒いから暖かくなってから乗った方が良いよ、と冒頭の言葉の後に言われる。やんちゃそうな青年は外に出てすぐに携帯を取り出し、これから免許交付してもらいに行ってくるのでその後バイク取りに行ってもいいっすか、と話していた。

スネオヘアー荒川アンダー ザ ブリッジ×ブリッジ
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赤いシューレース

些細なことから何だか昔のことばかり思い出されていけない。30%引きから更に10%引きという文句につい誘われてスニーカーを買った。遊びに行った先でついに底が裂けて仕方なく出先で別の靴を購入した代わりに処分をお願いした、本当に履けなくなるまで履いたレザーのワンスターにちょっと似ている。履くまではそんな印象だったが、履いてみると赤い靴紐が気になる。どうにも悪さをしているような気になる。
通っていた高校には指定の上履きが無かった。その代わりに上履きにする靴に支給された赤いシューレースを使わなければならなかった。入学の頃はまぁ真面目に付ける。そのうち部室から教室に行くようになると、半下履きのようになってくる。夏はサンダルだから短い赤い紐をただ緒に巻いているだけだ。だから、まぁ、その赤い紐を取ったり付けたりを繰り返す。それも2年が始まる頃には面倒になって、付けたままどこへでも行っちゃう。でも、駄目なことだとは知っているから、先生の目、特に生活指導や体育系の先生には気を配る。
もっと勉強しておけば良かった・・・という思い宜しく、何でもっとちゃんとしなかったのだろう、と悔やまれる。こうやってどんどん子供に対して口うるさい要素を増やしていくんだろうなぁ。

BUMP OF CHICKEN
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秋と夏と二輪

昼間に外出するのは友人が泊まりに来た日以来だから気づけば一週間もまともに太陽の光を浴びていなかった。午後二時だというのに影が大分伸びている。視覚は確かに秋を見ている。のに、まだ夏真っ盛りというような暑さ。この視覚と皮膚との差異をどうにか埋めようとしているのか短時間でころころと体調が変わる。どう対応して良いものか思案している中で、テレビから北海道での初雪のニュースが流れてる。
酒が強い方ではないから積極的に飲むこともなく、だからたまの酒の席でも同じようにあんまり飲まないでいるのだけれど、そうしていると度々、晩酌はしないの、と聞かれる。するもしないも、酒を置いていない。一日の終わりがはっきりするように仕事をしているわけではないから、まぁ今となっては合理的といえば合理的だけれど、元々は車に乗れなくなるから、ということが大きかった。好きな時に移動出来る手段を持っているのに、酒を飲むとそれが奪われてしまう。行ける所に行けないもどかしさ。東京の隙間無く埋められたような公共交通網にも似たような思いを抱くことがしばしばある。結局、行きたい所には行かないんじゃん。とは言っても便利だし、楽だし、と割り切っていたはずなのに、この夏帰省した際にバイクを薦められ、その自由移動の魅力を思い出し囚われたままひと月過ごし、結局抜けだせず教習所に通うことにした。二週間程度で取れるかな、という予想に反し、技能の予約が一週間後まで埋まっている状態で、懐かしのキャンセル待ちなど今更やってられないから、もうすぐ寒くなってしまうのだからゆっくり取ることにする。申し込んでしまえばもう取れたようなもんだ。
帰り道、幼稚園の庭に生えている銀杏の木からまだ蝉の鳴き声が響いてきた。その横に丸い大きな月。帰ってきてから今日が中秋の名月だったと知る。

SG

忠告されていたし、何となくそんな流れもあって自覚もしていたけれど、簡単なミスが続く。長野へ行くのにノートPCは持っても電源コードを忘れたり、約束の時間を勘違いしていたり、これから乗ろうとしている新幹線の予約を日付の見間違いで危うくキャンセルしそうになったり。気をつけよう、気をつけようとひとつ先のことに注意するあまり、目の前の鞄の中身に気が回っていない。ひとつひとつ確実に進めていかないと。
気づけば9月。入った途端に慌ただしい移動の連続。昼間は土と葉と獣のニオイのする木々が鬱蒼と茂る山を歩き、その夜には人と排ガスと何かのニオイに満ちる眠らない街を歩いている。明日はオシャレな箱の中で香水かポマードのニオイでも嗅いでるのかな。今月はどうも精神的にも肉体的にも少々きつそう。残暑も厳しいだろうけれど、こんな状態で気づいたら、秋じゃん、って感じになってると楽だなぁ。
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空も飛べない夢

周期があるのか精神的な影響なのか、たまに空を飛ぼうとする夢をみる。今回は東京らしいどこかのビルの屋上から。何度も同じ経験をしているから飛べないと分かっているのに、呆れながらもまた身体を宙に投げ出す。
初めてみたのは中学生の時だった。入ったこともない、あるのかさえ分からないが、通っていた学校の屋上だった。あの時は飛べると思っていたと思う。楽しくて笑いながら助走をとってた。結局、宙を蹴ることもなく頭から落ちた。落ちながら、今日は調子が悪かったのか、と頷いていた。地面に叩きつけられる前に人は気絶するんだ、と誰かが言ってたな、と安心しきっていた。胸の前で手すら組んでいた。なのにいつまで経っても気絶などせず、地面がみるみる迫って、迫る地面から目が離せなかった。叩きつけられる直前に夢から覚めた。
空を飛べないことを分かっていても地面が迫る怖さは一向に減らない。なんだか危ない気がする。
結局、休日を潰して物撮りを終える。理論だけでは難しい。経験もさることながら理論を実現させる役者も必要。でもまぁ限られた中で四苦八苦しながら撮っていくのもつまらないわけではない。けど、やはり面白くはない。
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