undergarden

向日葵枯れる夏

8月に入ったのか、と思ったのが2日か3日あたりだったからそれから既に3週間近く経った。お盆よりやや早めに長野へ帰省して丸々2週間。これまでのような酒が残る飲み方もしなかった。でも大人になったというよりは、20代ながら老いたような気持ちが残る。そういえば甥がきゅうり馬を作っていたけれど、食べたいということでなす牛は結局送り盆になっても登場しなかったな。
夕食の続きのように、母が見ているドラマを一緒に眺めていたが、どれも最後まで見ることは出来なかった。台詞が説明的、というよりも説明に終始していて全くリアリティがない。殴った相手に殴った理由を一から十まで言うのか。さるかに合戦も猿と蟹が和解して終わるバージョンが今はあるらしい。時代に合わせて物語も変容していくだろうけれど、汚れたこと(と全てを見てしまうこと自体が問題か)を隠したものが物語と呼べるだろうか。求められていないのか。この国は人を育てることが出来ない。政治から娯楽、生活にしてもそう思うことが多くなった。理解させることにもっと重点を置くべき。理解出来ることが前提にあると、自身を否定することになる。
太陽に向かって大きく花開いているイメージの向日葵が、どれも小振りで太陽に背を向けて項垂れ枯れていた。


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ここは蝉のいない土地なんだよ、と昼間に聞いて、あまり頻繁に足を運ぶ所ではないが、そうわれると鳴く声を聞いた記憶はない。まぁ元々、意識して聞いているような音でもない。でも東京へ来てからは、それを酷くうるさいと思うようになった。何匹も鳴かない。一匹だけ、鳴く。そこら中で鳴いてくれれば、夏の音として意識もしないのに、砂漠の真ん中で嘆いているのか、勝ち残った己を誇示して吠えているのか、兎に角一匹だけだからうるさい。でも地上に出てからの短い生命に、人間などに構っていられないのだろう。小便も引っかけたくなる。長野で住んでいたアパートでは、たまに玄関の前にポツンと動かぬ蝉が落ちていることがあった。いつどこで絶えるのかも分からない。そんなこと一向に気にもしない。鳴いて、嘆いて、叫んで、吠えて、ポトリと落ちる。理解など到底出来るものではない。朝方、また一匹、こちらの睡眠を妨げるように、うるさく鳴き出す。
使わない器官が退化するように、写真もきっと退化している。人はあまりにも創り出そうとし過ぎた。ような気がする。人は写真を人の言葉を伴ってでしか扱わなくなった。写真はまだ語っているのだろうか。もう小さな呻きしか発せられなくなってるのだろうか。聞く耳を既に失ってしまった。ような気がする。心臓を抉り出したくなるほどに、失った何かが分からない。

呟き

混んでいればどこでも良いから座りたいな、と思うのに、空いているとなんだかどっちでも良いやと立っていたりする。朝と夕のラッシュの丁度真ん中あたりだろうか、と昼過ぎの地下鉄に揺られていた。景色の変わらぬ真っ暗な窓をぼやっと眺めている。その中にふと知らぬ男の姿が浮かんだ。目の周りや額に深い皺が刻まれている。無精髭や頭髪には白いものが混じっていた。暗い部屋に、どこか小さな窓があるのか、そこからの強い光だけが差し込んで、斜めに顔を浮かび上がらせる。ペドロ・コスタの映画の一場面だろうか。俯き加減で視線は見るともなく、でも一点から動かない。そしてゆっくりと何か呟いた。
電車を降りてから何を呟いたのか、こちらの空想のようなものだから分かりそうなものなのに、少しも分からない。日本語では無かった気がする。英語でも無かった。ペドロ・コスタってことなら、ポルトガル語かスペイン語か。あいつは死んだのか。この町を出よう。神よ。プリンが食べたい。もしかしたら本人でさえ気がつきもしない呟きだったということもある。声にならずに口だけ震えるように動いていたような。嘆き、のような気はする。
つぶやき、と言ったら今はtwitterを思い起こす人が多いのだろうか。つぶやいてはみるもののこれが一体何なのか未だに分からない。イージーさに惹かれていたけれど、それも何だったのか。つぶやきが魅力的なのは、そこにその人がいるからで、情報だからではない。そこに人が見えなければ、0と1の羅列でしかない。まぁ見えることは見える。愛でも何でも、言葉ではなくてメールなりでの送受信で構わない時代だし。
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敗退

もうひとつ上に行けたな、と率直に思った。あと1試合このメンバーでこのシステムで戦えたら、そのことがそのまま力になるような気がしていた。まぁここにきて、ディフェンシブなシステムとは別にメンタルが保守的になってしまった。パススピードも遅く、ディフェンスラインは直前の負け続きの強化試合の時よりも高く保たれてはいたが、押し上げは遅い。ひとつひとつのプレーを大事にし過ぎていて、その後のプレーが頭にない。まぁその実力が出せない、というのが、今の実力なのかもしれないけれど、デンマーク戦やオランダ戦の時のような気持ちだったら、90分で勝つことも可能だったと思う。残念。
ただまぁ、開幕するまでは1分けすら厳しいと思っていたのに、2勝して決勝トーナメントに進んだ。延長戦に入ってからは、何ともワールドカップらしくて、感無量だった。悔しさを多分に含んだ落胆は何とも言い難く、爽快感に近いものまで感じる。ベスト16止まりだったけれど、でも、それを日本の自信にして良いと思う。選手の一人が言っていたけれど、その自信が次の力になる。希望しかなかった想いに期待を与えた。そしてきっと世界は驚いた。4年後が楽しみになった。
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ベスト4

ワールドカップ目前だから、連日どこかでサッカー特集をやっていて、その全てをタイムリーに見るわけにもいかないのでtorneが大活躍。今週末から1週間程また長野なので、その間を考えても、良い時期に導入した。オリンピックだとかの前にはテレビが売れるみたいだが、その気持ちがちと分かった。
先日、ベスト4という目標は曖昧で・・・、ということを言ったけれど、だからといって、優勝、と言えば良いかというとそうではない。日本の現実としてベスト4だって十分過ぎる程に高い目標。それを達成するためにこれまでがあって、もうちょっとあるけれど、でもそれが少しも近づいてこない。ただ何となくベスト4という目標を立てて、ベスト4に入る気持ちで取り組め、と言っているだけのような気持ちにさせられる。ベスト4と言ったなら、ベスト4に入るための行動が必要で、そうでなければ幼児が将来の夢に挙げるものと大差ない。何が不足しているのか、その不足を埋めるのか、長所で補うのか、勝って行くための実践が、その痕跡が見られない。結果は例え予選リーグ敗退でも良いと思っている。ベスト4を目指せるサッカーを見せて欲しい。そうしたら、ワールドカップ優勝を夢にしているこの国のサッカー少年たちが少しは救われるんじゃないか。