宅急便のおじさんに、夏風邪ですか、と言われるほどに酷く、正にその通りで夏風邪らしく、長引いていたのだが、涼しくなった途端に鳴りを潜めた。鼻のかみすぎで切れていた鼻腔内も治る。寝ているときに顔を枕に押しつけてもこれで大丈夫。起きたときは大抵俯せ。
選挙の開票速報あたりから、机に向かうと丁度背中の後ろになるテレビを、仕事中、たまに流すようになった。バラエティやドラマは元々見ないから問題外だけれど、ドキュメンタリーはついテレビに向かってしまうからダメ。だから専らニュース番組となるが、政権交代、インフルエンザ、薬物関係が多い。政権交代についてはもう良いんじゃないか。こういうメディアが無意味なマニフェストを作る土台になっているような気がする。政治ならばもっと突く場所があるだろう。国内のニュースが多いけれど、海外のニュースを扱った番組も欲しい。
討論番組か何か分からないけれど、今はまだ技術の進歩に環境対策が追いついていないのでこれからです、という発言を耳にする。十分な環境対策が整えられる時なんて来るのだろうか。環境対策ってそんなもので良いのだろうか。そもそも、技術の進歩、これもよく分からないけれど、と環境対策は別に考えることだろうか。環境って一体何のことを言っているのだろうか。気になりすぎて、一旦はテレビを消すが、やはり気になって、仕事を離れる決心をしてテレビに向かうと、スタッフロールが流れている後ろでコメンテーター陣が笑顔で向き合っていた。
涼しくなった、と言ってもまだ9月も始まったばかりだから油断は出来ない。切れたと思っていた尾が、ただあちらへくにゃんと曲がって、あちらでまたくにゃんと曲がって戻ってくる。毎年、裏切られたような気分になる。で、そんな気分を引きずっている間に秋がどんどんと深くなって、は、もう冬か、と驚くのだ、あたしは、きっと。
結局10日間帰省していた。考えてみればこれだけの間、実家で過ごすのは一人暮らしを始めて以来になるから7年振り程になる。普段、殆どの時間を一人で過ごしていることもあってか、誰かがいる、というのがどうにも苦しかったが、それもすぐにの身体が思い出したように馴染む。だから、帰りは中央線にでも乗って途中下車でもしながらゆっくりと帰ろうか、と思っていたのだが、振り切らねば戻れない、と停車駅の少ない新幹線を選んで乗って帰る。新宿の駅構内が懐かしい景色に映る。
帰省翌日の朝から隣家の親子喧嘩に驚いて早朝から起こされた。すぐに寝てしまえるような眠気には包まれているから、またパタンと眠ってしまえば良いのだが、親子の口を突いて出てくる言葉がいちいち面白くてつい耳を傾けてしまう。10分ほどで収束するのだが、その頃には眠気の膜は既に破れてしまっているから、仕方なく起き出して朝食をとる。朝食後はでもやはり眠気が残っているからぼんやりと過ごしているうちに眠りに落ちて、午後の暑くなった最中にまた起きる。というのを3日ほど繰り返して、これじゃあ辛い、と耳栓を購入する。翌朝は妨げられることなく眠れたが、どうにも寝るときの耳栓は不安が残る。電気を消して横になってからストレートに耳に入る虫や風の音が届かない。これらの音も聞こえている時は五月蠅いと思っていたが、無いと無いで寂しい。眠りに落ちる間際にスッと遠のく感じもなく、いつ落ちたのか、落ちる際の気持ちよさも奪われる。
盆帰省の荷物を、それほどいつもと量は変わらない、というよりは夏場なので少ない程だったが、それでも重さだけは諸々の機材を考えると萎えるほどあったので宅急便で送ることにし、昨夜、集荷の依頼を出した。指定時刻ギリギリの昼過ぎにやってきた配達員のおじさんは、事務処理をテキパキとこなし、お金を受け取るとすぐに出て行く、と見せかけて、指定時刻の配達は難しいかもしれないと向き直ってから眉間に少し皺を寄せながら言う。唐突だったこともあって咄嗟に、どうゆうこと、と詰問するような形になってしまい、慌てて、デスカ、と付け加えた。いや、高速道の値下げで混んでいて集配センターに予定通りに届かないことが増えている、とのこと。更にいつ降るのかもわからない豪雨に当たるとどうしようもない。どこで起こってもおかしくない土砂崩れのニュースを見ると恐くなりますね、だから、関西方面からの荷物は遅れることが多いです、と、皺を少し深くしながら続けて言った。こちらの荷物は、関東から信越だけれどなぁ、と呑気にも思っていたが、口からは、丁度今夜は関東に台風直撃みたいですもんね、と直前まで見ていたニュースを伝えていた。それでおじさんは、どうも、と帰って行ったが、背中は寂しい。こちらにはどうにも情けない気持ちが残る。
経済対策としての高速道の値下げが流通を滞らせている。今は普段車に乗っていないし、あまり車の情報に寄りすぎるとまたどうしても欲しくなってしまうからとどうしもしようのないF-1情報だけ止めているので、現状としてそれほど混んでいるとは知らなかった。報道されるのは連休時のピークの状態だし、それなら当然だよね、という程度だった。実際の経済効果はどれくらいあるのだろう。人が動けばそこに消費は必ず付いてくるけれど、運送業や電車やバス、船などの運搬業の業績はやはり落ちているだろう。偏った見方だろうけれど、やはり税収入なんだろう、と思ってしまう。車を所有していた、常用していた身としては、ガソリンの二重課税から始まり重量税や諸々のパーツの消費税も含めると、自動車には至る所に安くはない税金が掛かる。車離れがこのまま加速すると国の税収が落ちて、誰かのどこかにお金が行かなくなる。票集めの公共事業も出来なくなる、とか。覚醒剤問題から血液製剤、身近なところで言えば煙草まで、国が無責任に暗部を民意という幻想に押しつけて施行する政策が多くないか。第二次世界大戦時の軍指令本部のトップ達のようにやはり死ぬまでしらを切って過ごすのだろうか。結局、望んで、というが国民の消費負担が増えるのに、企業の利益が落ちて消費が滞るという矛盾。長野へ帰省すると、ネットに接続する環境が限られている為か、いつも以上に余計なことを考えてしまう。
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7月、8月は蚊に刺されないんだよね、と言った次の夜に五カ所も刺される。刺された所でそれ程腫れはしないだろう、とまた高を括っていたら、眠りを妨げる程に痒く、朝起きると赤く腫れあがっていた。あまり人に見せられない場所を刺されてしまったが、やはり毛のあるところは刺せないみたい。
なんだかイエス様みたい、と称された、ボサボサの髪を切りに行こうと、外に出るとどうも調子がおかしい。道の端を歩いているつもりなのに、徐々に真ん中へ寄っていく。あぁ、寄っていくな、と思っていても、どうしようもなく、寄っていく。前を歩いている人を抜くか、という段になって、急にその人の歩調がこちらの足に移って着いていく形になるが、こちらは右へ左へふらふらとしているので、近づいた背中がまた離れていく。新宿までやっと出て、乗り換えの為に駅構内を歩いていても、ここのどこをどうやって歩けば良いのか、と途方に暮れる。雑踏がそのまま雑踏として迫ってきて、歩ける場所なんてどこにも無いように思えてしまう。やっと歩き出しても、こちらの歩く速度が遅いからか、後ろから迷惑そうな背中が抜いていく。歩く速度を上げて、もう走っているに近い心地だったが、すると今度は、急に止まったり、方向転換したり、歩みの緩い人にぶつかる。気づけば必死の形相で目の前だけを見つめている。これまでどうやって歩いていたのか、不思議でならない。皆が、皆、それぞれを躱してよくもぶつからないものだ。道は敷かれていないが、やはり流れはあるのだろうか。
髪は伸びに伸びた後ろ髪を切りたい、ということだけは美容師に伝えて、あとはお任せ。渡された雑誌の海洋生物の特集が面白く、ついつい読み耽ってしまい、散髪は気づけば終わっていた。良い感じですよ、と言う美容師の顔がいつもより大分嬉しそうで、中々に上出来に仕上がったらしい。どうなると上出来となるのだろう、と思いつつ、自身の仕事と重ねるとわからないでもないな、と良かったね、と残して帰ると、もう行きの不調は消えていて、いつものよう雑踏を歩けていた。流れはどうやらある。
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ポケットに手を突っ込んで小銭を取り出したが、五円玉がポロと転げ落ちた。そのまま手を伸ばして拾おうとしたけれど、物ぐさが遂に極まるようで膝を曲げてしゃがむと、その様がどこかぎくしゃくとスクワットのようになった。小学生の時から高校までサッカーをしていた割には、滅多にやらなかったけれど、でも懐かしい感じから、そのまま辛くなるまでやってみるか、という気が起きて手の内の小銭と五円玉をテーブルに置いて始める。辛くなるまで、と思ったものの、やはり数を声に出して数えてしまう。それがどうやらリズムになっているようだが、息がどこも震わさずに抜けてきたような掠れ声になっている。試しにしっかりと発音して声を出してみると、そこでもうやる気を失ってしまう。これ以上は駄目だ、と。再び声を抜くと、疲れも抜ける。五十回は無理そうだ、と四十回で止める。こんなことで情けないようだけれど、明日は筋肉痛になりそうな気配。明後日とか明明後日に出るようだったら、これこそ悲しむべきことか。