undergarden

ぼじょれー

警察がやけに出回っていて、何やら事件だぞと、少しわくわくしていたのだけれど、ボジョレー・ヌーボー解禁、という文字を見つけて納得。カウンターの椅子一つ挟んだ隣りに座っていたご機嫌なカップルもワインを飲んでいた。けれどそれはボジョレーでは無いワイン。その店では早々に仕入れ分が終わってしまったとのこと。何だかよく分からないけれど、祭り、らしい。
カメラマンからの、やめた方が良い、との助言があったものの、結局Contax RTSを購入。日曜のフットサルの帰りにふらっと寄った中古ショップにて、RTSが格安で売っていてその場で購入したが、その場でフィルムを装填しても巻き上がらず、店員に見てもらうも不良という判断でその場で返品。保証無しだったから持ち帰ったら危なかったかも。で、今日、違う店にふらっと入ったらまたもやRTSが置いてあり、これは運命だ、と購入動機を半ば捏造して、今度はちゃんと話を聞いてから購入。店員曰く「保証は出来ないけど体感的には2年は大丈夫」とのこと。体感て。併せてPlanar 50mm/1.4も購入。隣りに立っていたPlanar 85mm/1.4にはかなり惹かれたけれど50mmの4倍という値札に尻込む。でもまぁ現状他者に求められているわけでもなく、欲(というよりは信念かしら)にただ素直に浸かれば良いわけだから、レンズ云々の問題ではない。欲の形が変わればその時必要となろう。どこかでカメラやレンズの性能に寄り掛かりたくなる気持ちもあるけれど、そういうものは捨ててしまった方が良い。と思う。と言いつつカメラとレンズはちゃっかり手に入れてしっているんだけど。袋は要りません、と秋を吹き飛ばす風の中そのまま街をふらふらしつつ試写してみるとシャッターの感触が異様に心地良い。暫くはG1を留守番にしてこちらを持ち歩くことになりそう。帰りがけに買った雑誌に目を疑うような情報が記載されていた。成功が何を指すのかは自分でさえもわからないけど、何かと動く時期なのかもしれない。

今日の運勢

金運が☆5つ中4つだったが、その他恋愛運や仕事運は☆5つ。仕事をしなければ外に出る事もなかった今日ではどうしようもない。明日は今月のラッキーデー。
運送会社から「〜住所は以上で宜しいでしょうか。宜しくお願いします。」とだけ留守電に吹き込まれていたがこの場合どうしたら良いのか。不在通知も入ってはいない。ま、再度訪問してくれるだろうと1日待つが来なくて友人に聞いてみると、そのまま送り返されちゃう場合もあるよ、ということで慌てて電話。受付の女の方に事情を話したがドライバーが分からないので翌日以降お届けします、とのこと。あらら、と思った次の瞬間、知らぬ携帯から電話が入り出てみるとドライバーさんから。10分後には無事受け取れたが、今日注文した品に関しては配送業者が選べたので、しっかりと選ぶ。
アウトレットで新品の半額だったAria Sinsonidoを購入。中学校で1年間ギタークラブだったけれど、ギターを持って行くのが怠かったり、一応は授業枠でのクラブ活動(部活とは違う)だったけれど強制でも無かったから殆ど出席せず、だから基本的なコードしか弾けない。10年経った今、再度ギターを弾いてみるが驚く程弾けない。というか押さえられない。記憶を辿ってGLAYだったりスピッツだったりと当時コピーしていた曲のコードを記憶を探りながら弾いてみるけど、こんなだったか、と。そんなことやってるうちに指先は赤くなり、キーボードを打つのも軽い痛みを伴うようになった。一朝一夕といかないのは分かってるつもりだけど出来そうな気はしちゃうんだよなぁ…。

— Read more

ヨウ

届いたままテレビの横に置かれていたアイロンと朝の詩人を捲る。日本語への嫌悪感は治まったものの、文字の意味が全く掴めない。あぁ、成る程、昨日英語に行き着いたのはこの為か、と思い至った。脳が文字の意味を拒否していた。単なる記号だろ、記号、と。だから、英語の、というかローマ字の一字だけでは意味をなさない、シンプルな記号を選んだのは自然な流れだったのかもしれない。事実、英語が読めないなんてこれっぽっちも思っていなかった(実際は辞書がなければ読めないけれども)。漢字はそれだけで意味がある。ひとつとは限らず複数あったりする。ひらがな、カタカナだけだったらまた違ったかもしれない。
ページを捲る手が5分以上動かない時もあったと思う。一字一字を確認しながら、読んだ端から抜けて行く言葉を繋ぎ止めながらゆっくりと時間を掛けて読み進めた。そのうち五文字読める様になり、十文字読める様になり、一行読めるようになる。日本語の記憶方法を一から習得しているような感覚。でも確か文字って書いて覚えたよな、とも思う。書く事をしなくなってかなり経つ。その間に、字を書くよりもキーボード入力の方が早くなり、記憶を記録としてハードディスクに委ねることの不信感も殆ど無くなった。こうやって忘れて行く。ただこれが悪いとは思わない。簡単に言ってしまえば、そういう時代だし、忘れてしまうような言語は他の言語に淘汰されても良いと思う。寧ろ、地上に国境の無い、海に隔てられているこの国にとってはその方が良いんじゃないかとも思う。
結局、半日程かけて読み終えた。落葉を乗せてサラサラと流れる小川のような文章が心地よかった。

LAS VEGAS

昨夜は遅々として読み進められない本を読んでしまおうと、端末も全て落として読んでいて、終章だと思った所までは覚えているが、その後の記憶が無い。起きてみると昼過ぎで、床で寝ていた。始めは椅子に座って読んでいて、そのうちソファに移り、腰が痛くなり横になって、その体勢も辛くなって椅子に戻り、座る姿勢が崩れて床に座り、尻が痛くなってソファに移り…。起床後は怠くて仕方がなく、頭も重く、暫くそのまま仰向けでいたけれど、メールチェックだけはと端末に向かい、いつものように煙草に手が伸びて吸うが脳が締め付けられるような痛さに見舞われる。本当に毒なんだな、と。このままじゃ、とシャワーを浴びて、少し散歩に出ると大分体調は良くなった。が、結局、今日は怠いや、という甘えで殆ど何もしなかった。
鬼束ちひろの新しいアルバムを聞いて、あれ、おかしいな、と思ったのは久しぶりに声のある音楽を聞いた為だった。ただそれ以外でもiTunesから聞こえてくる音が何となくのっぺりしている感じはする。イコライザーを弄ったわけでもないし、これはどうゆうことか。メンタル的な問題かしら。鬼束ちひろのアルバムに付いていたPVはやっぱりイマイチ。
頭の重さからか、日本語がついに嫌になって英語のニュースサイトを巡る。少ない知識と辞書を手に。ネット上にも使えないけれど取りあえずの翻訳サイトや辞書もあり、ただネットに繋がっているだけってことで言語は学べるのだな、と今更ながらに思う。最近はYouTubeなんかもあるしね。そんな迷走をしている中で、ふと思い出してapril gornikのサイトを数年ぶりに見てみたら、何だか分からないが泣きそうになっていた。そして、本物が見たいなぁ、と。本物が見たい、なんて以前は何に対しても思っていなかったと思う。モニタで十分見られるじゃないか、と。そのモニタがやけに虚しい。これは今年、自分の作品ということではなく、美術館と関われたおかげかもしれない。

— Read more

one nation

昼過ぎからハイウェイミュージアムにて鶴田さんの作品展示の手伝い。結局航空便は届かなかった。最近、美術館を美術館なんだと思うようになる。何が原因かはわからないけど。展示後、隣の道の駅にてお茶をしていると早くもクリスマスソングが流れていた。12ヶ月のうちの2ヶ月近い時間をクリスマス気分で過ごすのか、と。夕方に帰宅するとポストに宅急便の不在通知が入っていたので、今日の再配達のお願いをして、何も得られない仕事に向かう。こういった仕事は出来ればやりたくない。でも生きて行くには必要。暫し心をなくすしかない。
夜中に予想外にも発売日に届いたBABELを観る。余分も不足もない、撮るべきものがそこにある。役者も含めて、スタッフが同じヴィジョンを持って完成まで繊細な作業を続けた結果なんだろうと思う。やはりこの監督は恐ろしい。ダルフールの問題から浅くでも色々と考え始めたていたから、ということもあったかもしれないが、視覚や聴覚というものではなく、直接脳にスッと入ってきて広がる感じがあった。さくらんは娯楽として観ても辛い。写真家が写真家のまま映画を撮っては駄目だと思う。