undergarden

空の色

結局使わなかった一眼レフのセット入れたバッグを肩に掛けながら地上へ出ると、東西に貫かれた道の先に夕日が見えた。友人がマジックアワーだと言って見せてくれた写真はこのあたりの時間だったろうか。肩に食い込み気味のバッグを抱え直してカメラを取り出す気力は既にない。静養、という弁解を日々与えつつ、結局丸一ヶ月帰省していたが、その間に大分体力も落ちてしまったようだ。ビルの谷間のアスファルトに沈む夕日を珍しく眺める反面虚しさもあり、姪に、外が赤い、と手を引っ張られて眺めたものとは全く違う世界のもののように映る。人波がこちらを追い越し、次の波がまた追い越していく。そうだった、と思い出すように歩く速度を上げていると、再び姪が、黒くなった、と手を引いた時間に入っていた。
隣人の騒音トラブルで、数年前に引っ越した今の家は母が住んでいるだけで、こちらもそこで暮らしたことはないし、自分の部屋も既に無いから懐かしさというものがない。それでも帰るといえばそこだし、実家といえばその家ということになる。おかしなものだ、と思いつつ、人は結局人に帰るのかもしれない。一方的な勝手な思いだけれど、人がその場所性も孕んでいる。片足しか突っ込めていないような東京での生活で、帰る、という言葉が住んでいる部屋になかなか結び付かないのは、誰もいないからか、と何となく納得した。
友人の手を借りつつ進めた整備で、やっと人並みに、というか、車並みに走れるようになったバイクで、この帰省中400kmほど走ったろうか。乗るほど上達するから、と教習所の教官が言っていたが、成る程その通りだ、と近所の鋭角コーナーを通る度に感じる。夏の暑さの盛りには、エンジンの熱と差すような日射しとに挟まれて辟易したが、少し涼しくなるとそれが心地良くなる。飯縄への山道を登りながら標高に応じて下がる気温を肌で感じたときには、思わずヘルメットの中で、おぉ、と言ってしまった。冬の間は流石に乗れないから、それまでにもう一度帰省して、今度はもうちょっと遠出でもしてみようかな。

日焼け

7月末頃から寝るときに内臓が締め付けられるようになっていて、ただ眠れてはいたのだが、日に日に酷くなりお盆で再び長野へ帰省する頃には心臓が止まるような感覚まであって恐さと苦しさで眠れなくなる程になってしまっていた。まず生活を見直してみたら、と早々に言われてはいたが、そうは言ってもねぇ、と改めることも出来ず、帰省してから看護師をしている妹に話しをしてみても同じことを言われてしまい、盆中は極力端末は閉じ、陽のある時間は陽に当たり、食事をしっかりとり、暗いうちに布団に入る、という生活を送ってみると症状が緩和された。盆明けに検査をしてみようか、と話してはいたが、それも取りあえず様子を見ることにする。気づけば皮膚が剝け、近年見ないほどに肌が焦げている。
久しぶりに見ている夜のドラマのロケ地が一話目に走っていたバスから、どうも長野県っぽいな、とは思っていたのだが、先月何度か通った景色が背景に流れて確信に至る。態々車を止めた場所でも撮っていた。だが、ドラマ内では全く違う、海に近い土地の設定で、既知の場所、ということを除いても、空気は完全に山のものだよな、と思う。恐らく植生も違うだろうし、海をよく知っている人間にとったら首を傾げるのではないだろうか。良いロケーションを探すことは重要だけれど、物語なのだから設定に合ったところで撮らないと、生きている人間というものを否定することになってしまう。勿体ない。
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凡庸性

展示を終えて東京へ戻ると、半月前の喧噪がそのままの形で部屋に残っている。懐かしいというよりもどこか他人の部屋のようで、暫く玄関に突っ立って眺めていた。出て行く時の、疲弊しきった身体を支えていた自尊心はすっかり吹き飛ばされてしまったが、生活から切り離された部屋にはまだ少し残っていて、それが少々愛おしくも思えたけれど、この中でもう生活は出来ないと掃除から始めた。確かに得られた何かはまだ輪郭すらぼんやりと淡い。焼き付いて離れないあの光景を目にした時に、カメラに伸ばした手を止めたのは何故か。勿体無いことをしたと思う反面、撮らなくて良かった、と思っている。きっと全てを撮りたいわけではない。
凡庸さ、という言葉を雨に濡れた軽井沢から車を走らせながら強く噛みしめる。それを見つめないとな、と。
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black & light

本日17日から31日までの2週間、軽井沢のカフェ春やにて写真の展示をしています。TOPOS展の初回、black & light、吉村正美女史(版画家)と。今日は16時頃から18時くらいまでオープニング。昼過ぎくらいからはいます。後は未定。長野には滞在しているので、どうしても、という人は携帯ででも呼び出してもらえば、都合が付けば2時間程で行けるかな。考えてみれば初めての非デジタル作品。10日前にやっと1枚目のプリントが決まったような状態、というよりも、搬入現場でどれを展示するか決めるような状態だったから、間に合って本当に良かった。他に作ろうとしていたものはあったのだがそちらは時間切れ。でもまぁ展示空間を見る限り、あっても展示しなかっただろうな、と思う。
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710

7月に入り漸く少し落ち着いて、日没と共に暗室作業に暮れる。予定では既に終わっているはずだったのに、延びたり、縮んだり、縮んだり、縮んだりするスケジュールに翻弄されて、6月末の1週間のうちに締切が3件並んでしまい殆ど手が付けられなかった。中々言えない、忙しい、という言葉を、これはまだ余力があってこそ言いたい言葉なのに、それを口にしなければならない度に心が病む。今回ばかりは少し痩せてしまったんじゃないだろうか。
何れにしても17日からの展示に間に合うのか、という状態。7月に入った時点で1枚もちゃんとプリントがあがっていない。空いた時間にデータは取っていたが、プリントを始めてみると、適正値への従属のような姿勢に悲しくなって、一度全て破棄。この標準化への道は何をするにしても一度は通らねば気が済まないのか、と改めて自身の不器用さに呆れる。巧さと良さは違う。同居することは多くあるにしても。
慌ただしさの中で生活リズムは狂っていたけれど、暗室作業のお陰で完全に昼夜逆転した。専用暗室では勿論無いし、全暗に出来るような部屋でもないから、暗いうちにしか出来ない。だから午前4時頃まで。それですぐ寝られれば良いのだが、薬品の為なのか目が冴えまくっているから眠れない。仕事をして、朝食(夕食)を取って、暑くなり出す頃になってやっと眠れる。しかしものを作るということはどうして苦しいのか。イメージではもっとハッピーな感じなのだが。終わりの為に続けられているようなもの、なんだろうな、これは。
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