undergarden

片道260円

出勤ラッシュの時間も過ぎ、昨晩積もった雪も大通りでは路肩を除けば溶けてしまっているのに、未だ車が長く連なっているのはやはり雪の為だろうか、それとも時期的なことからだろうか、と久しぶりの路線バスに揺られながら朝、車で出勤していた過去の記憶を探るが全く分からない。予めポケットに分けてあった乗車料金が10円足りず、降りるときになって両替。駅前までどこのバス停にも止まることがなかった乗客数を考えれば値上げも仕方がないな、と思ったがその記憶にもあまり自信は持てない。霜焼けになりそうな足の小指が時折疼く中、同じところを何度も踏みしめているような緩い坂道に、ちゃんとしたブーツが必要かしら、と一応はブーツを履いている足下を見つつマフラーを回し直して、再び降り始めた雪の中を歩く。
展示が終わる。思わぬアクシデントによって様々なものを削った報いを求めて少々浅ましい欲を出してしまった為に作品を見えにくくしてしまったなと反省していたけれど、最終日に催されたクロージングパーティに訪れた幼児たちが映像作品に興味を惹かれている姿を見て救われた。あの反応の先に作品を置いていたから。まぁでも個人的には今年始めた植物のモノクロプリントが良い感じになってきたので、こちらを暫く続けようかな、と。
夕方になると頭の上に雪が積もるほどの降りになった。搬出が終わり、寂しいような悲しいような気持ちを抱えていたからか、実家の最寄のバス停を通る路線では一番遠い所まで行くバスに、そのまま山奥まで行ってしまおうか、と考えながら、250円、いや260円だった、と財布を開く。

TOPOS 02


搬入日も展示初日も雪が軽く舞っていて、屋内といえどもやっと枯葉が落ちる季節になった東京から急に飛び込んだ地元の空気に風邪をひく。睡眠不足も響いた。帰宅してクラブW杯の決勝を見始めはしたが前半の終わりには瞼が半分ほど落ち、ハーフタイムで少々回復したものの、後半途中でこれ以上は無理だと布団に潜り込んでしまった。
端末のクラッシュにより急遽新調した端末は最低限使えるようにしただけのままだったので、取りあえずここ数日のデータを整理する。作品用に撮影したデータは簡単に数えてみても10万枚ほどあり、端末だけでなくカメラの方も結構酷使してしまったな、と東京へ戻ってから点検に出そうと調べてみると安くはないが致し方ない。アプリの設定等は使用していくうちに調整していかなければ分からないから、ということでもないけれど仕事を再開。
思い返してみると当初は石を撮るつもりだった。近所に河川が無いから拾いに行かなければな、と考えつつ、どこかその不変的な意味合いに、恐らく時代的なことだろうけれど違和感が少なからずあった。個人的でもあるし、装飾的でもある。まぁ超長期的に見れば石も消滅することになるのかもしれないが、その説教臭さがどうにも気持ち悪い。生命はもっと脆く儚い。だからこそ刹那の光景が美しい。と、まぁいずれにしても説教臭いけれども。
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迷惑メール

携帯に届いた、愛する家族は皆死にました、という衝撃の冒頭文に迷惑メールだけれども思わず開いてしまった。本文はそれだけで下に色々なURLが並んでいる。削除して数時間後。同じメールアドレスからまた届く。その後も数時間置きに同じアドレスからストーリー仕立ての迷惑メールが届き、取りあえず開いてから削除する。どうやら数日前からこの物語は展開されていたようだが、基本的に知らぬ怪しいアドレスは開きもせずに削除してしまうから、今となっては何故そんな状態なのか分からない。明日から入院します、私からのメールは迷惑ですか、という自虐的なメールを最後に届かなくなった。数ヶ月後にでも、元気になって退院しました、なんてメールが来たらちと洒落てるけれど、シナリオをもっとちゃんと書かなければそれ以上は読まないだろうな。
終点、などということはあまり考えないけれど、日々、小さなことでもある程度の道筋は立ててはいる。その通りに進むこともあれば、全く意図していなかった方向へ進むこともしばしばある。まぁ部屋に籠もっていようが一人で生きているわけではない。他者という存在もあるし、社会というものもある。今回のようなタイミングでなければ、それも面白い、と捉えられただろうし、別の解決もあっただろう。けれど、もう今回は地団駄を踏むくらいにただ悔しい。スキル的にやりたかった仕事をスケジュールの問題から断らざる負えなかった。内容も、更に言えば金銭的な面も全く問題無かったのに。殆ど入れ違いのようなタイミングで別の、予定も予想もしていなかったボリュームのものが入ってしまっていた。どうにか出来ないか、と色々と巡らしてみるけれど、徹夜して詰めてみた所で間に合いそうもない。スキル、と言いつつ、スケジュール面からそのクオリティが保証出来ないし、既に受注している他の案件のクオリティにも関わる。一人で仕事をしているとこういう時、辛い。今現在、分業できるようなシステムが構築出来てればな、と時々思う。思いつつ、やっぱり最終的な部分で信用出来ないから、構築出来ない。バンドを結成する前から解散の瞬間を考えているような。仕方のないことだけれどちょっとこの悔しさは暫く引き摺りそう。
あと数百円で送料無料です、の言葉に導かれて、何かの葉っぱを買う。花が咲くものだったろうか。取りあえず現状は葉だけ。小学生の時に学校で育てたへちまがひとりだけ育たなかったり、菊も枯れそうなところを先生の介抱のお陰で事なきを得たものの結局他のものより小さく、その数年後に何となく買ったサボテンを枯らしてしまった過去があるだけにどれだけ耐えてくれるか不安ではあるけれど、キッチンの棚の上に置かれたその葉っぱは今の所は快調。たぶん。ここ数日で太陽の方に向かって葉が捻れ始めている。

追思

昨日までカレーが入っていた鍋を洗い終えて、で、夕食はどうしようか、と開いた冷蔵庫には玉ねぎがひとつと空になった卵のパック。室内着にジャージを羽織りサンダルを突っかけて食材調達に出たが既に日が暮れてしまった通りはあまりに寒く、徒歩10分の道程の半分も行かずに引き返した。そういえばもう11月も下旬なのか、と納得・妥協して、徒歩30秒のコンビニでさしあたっての食料を確保。ただ秋を過ごした感覚が殆ど無い、と麻婆丼を食べながら思う。
自分で現像しようか、と考えつつ夏を挟んでカメラに収まっていたフィルムには、結局今更ながらショップへ持ち込んだのだが、あぁそうだった、とそこにいた日々が写っていて、そういえばこのあとの雨は激しかったな、とか、この時はとても眠かった、とか連鎖的に様々なことを思い出す。写真が過去を補完するわけではなくて、思い出された記憶が補完して再び過去に収まる、という感じだろうか。だから、過去が美化される、というのも当然だろう。現実を素地として想像出来るのだから。秋の始まり頃にフィルムを装填したカメラを取り出すとまだ20枚しか撮っていなかった。現像したら思い出すこともあるかもしれないが、素通りしてきてしまったような気持ちは、だからまぁ当然なのかもしれない。
来月の展示までの残り時間が無くなってきたので、ここ半月程捏ねては転がしてということを繰り返した現時点でのものを制作しようと決めて、諸々確認やら必要なものの発注やらを急に手に入れたような祝日を使って行う。週末くらいには揃うだろうか。これまでは、どうにかなる、という対象だったから期日が迫ってもあまり焦りはなかったけれど、今回は進めてみないと分からない。まぁこちらとしてはそんな感じが楽しくはあるけれど。結果もついてきてくれると良いけれど。

ものがたり

京都へでも遊びに行こうかな、などと8月の末頃は呑気に思っていたけれど、過ごしてみればそのような時間も取れずに気づけば十月に入っている。忙しい、というよりは、上手い具合にスケジュールが嵌った、という感じで、だからどこかで無理をしていれば行けたように思うけれど、まぁ急ぐ理由もない。冬でも春でも良い。夏はちょっと遠慮したいけれど、それでは1年また経ってしまうな。
何となく仕事が一段落した土曜日の夕方、今はリスニングよりリーディングみたいだよ、と教えられたまま、英語で書かれた物語を買ってきて辞書片手に捲る。恐らくこの文をそのまま暗記するように読む、ということなのだろうけれどいちいち、意訳したら・・・、などと考えながら読んでいるからなかなか進まず疲れてしまい、暫くして夏前から移動の際に捲っている越境に持ち替えた。途中トイレに立つと外から、俺は芸能人だからさぁ気を付けないと、と大声で電話なのか話している声が聞こえてきて思わず笑う。珍しくベッドに横になりながら捲っていたためか、いつの間にか寝てしまい起きると丁度0時で、慌ててテレビをつけてtwitterで流れてきて放映を知った岩井俊二の3.11以降のドキュメンタリーを観る。インタビューをメインに構成された作品は、物語とは違うけれど、それこそ物語でもある。ちょうど越境で読んだ下記の文がある。

この世界は石や花や血でできている物のように見えるけれど実は物ではなくひとつの物語だからだ。世界のなかにあるものはすべて物語でありそれぞれの物語は全て内側に含んでいる。

民放でよく見られるような外側を膨らませるようなものではなくて、内側にそっと触れるような距離感の映像が良かった。シナリオ物も観たいけれど、2002年の日韓ワールドカップの時のドキュメンタリーも良かったし、伝えるという編集が良く出来てるなぁと思う。RADWIMPSのボーカルの曲も良かった。

iwai shunji film festival
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