先日撮影に行った結婚式の映像を今週土曜の披露宴で流したいと急遽連絡が入る。前もって言っておいて下さいませ…。まぁ昨夜から今朝にかけて中途半端に尾を引いている幾つかの仕事の目処がたったのでまだ良かったけれど。でも終わるかしら…。ギリギリだよね、たぶん。そんな計算をしているそばから取引先から電話。先月買ったスケジュール帳がどんどん埋まっていく。何も書かれないよりは嬉しい事だ、とポジティブに考えようとしても駄目。購入の切っ掛けが思考で逃げようとする予定を明示しておく為だったしね。
近所で工事をしてるみたいでコンクリートを打つ音が集中を妨げるので取込みはヘッドホンをカメラに装着して行う。でもこれじゃ携帯が聞こえない、って事で会社を辞めてから棚の上に置かれっ放しになっていたSennheiserのイヤホンを取り出す。やはり高性能。耳痛くならないし。しかしこれじゃあコンクリートを打つ音が聞こえてしまう。
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早速妹からベースを借りてきて弾いてみる。って弾いてるとは言わないか、音を出す。でもアンプが無くて(壊れたらしい)少し悲しい。まぁでも弾けるわけじゃないから良いか、とそのまま入門サイトなどを探して練習。中学の時少しギターをやっていたけれど、その後は殆ど触っていなかったから指の先はやわやわで痛い。一時は固かったのになぁ、と麻痺した指先を揉みながら思う。若ければ若い程こういうものは嵌るんだろうな、とずっと考えていて、だから中学の時に触れたけれどそれ程嵌らなかった事に実は落胆していた。音は駄目かなぁ、と。でも始めたばかりだからかわからないけれど、まだ数音しか出せないけれどなんだか今は結構楽しいと思えるのが不思議。基礎なんて飛ばしてしまう質なんだけれどちゃんとやってるし。気が付いたら小指に水ぶくれが出来てしまっていた。キーボード(特にa)が非常に打ちづらい、というか違和感いっぱい。打ったのか打っていないのかあまり感覚が無い。だからタイプミスがいつも以上に多くこれだけの文章も結構時間がかかってしまっている(内容は兎も角として、苦笑)
椅子から立った瞬間に頭の中で流れ始めたメロディーが何だったのか暫く立ったまま考える。微かに残っている記憶の音を広げて先へ繋げる。coccoのraining。漸く思い出したけれど何故立ったのかを忘れて座り直す。
都合の良い考えだけれど雨音を再始動させようかと煮詰めていた所だったのでこの関連性が妙に嬉しかった。漠然と始めてしまった雨音だけど今回は活動を明確にしていこうと思う。ただそこまでの体力ははっきり言って無くて、小さく小さくやっていくのかもしれないし、まず雨音では無くて、そこまでの導線を作って行くのかもしれない。でもまぁ雨音なんて単なる名称。縛られるものでも寄りかかるものでも無い。器でも無い。雨振って地固まるという諺を借りれば地という感じかもしれない。
早速TSUTAYAへ行ってcocco:ベスト+裏ベスト+未発表曲集をレンタル。高校を卒業した頃に聞いてたな、とジャケットを見て思い出す。序でにブエノスアイレスの夜、猟人日記もレンタル。無理してでも遊べ。
悩み抜いた10月。もう11月だし、って事で動く事にする。するってのも可笑しいけれど。久しぶりにmachidaさんからメッセ。バンド結成、飲み会、その他色々。あたしはベースか。やった事無いけど。ギターから大分遠ざかっているから同じ様なものだ。仕事の状況次第で土日は東京。久しぶりに羽根を伸ばせるかどうか。昨夜運良く手に入った?ワンダと巨像。内容からしたら値段が高い。4,800円が妥当じゃないかしら。抑制がこちらの制限になってしまっていて残念。どうでも良い事で自由を出そうってあたりがなんだかね。仕事だけれど趣味色の近い提案でnakajimaさんに電話。企画を煮詰めねば。年明けあたりを目標にしたい。こんなデジタル世界で仕事してるのに結局アナログ好きみたい。でも人ありき。人の力ありき。明日はお昼前後にビデオ撮影。明後日は結婚式の写真、ビデオ撮影。こういう仕事もやってます、たまたまだけれど。machidaさんの酒飲んでる、という言葉に誘われてこちらも缶チューハイを空けた。アルコールの摂取は久しぶり。
今月頭くらいに小説を書き始めたのだけれど結局構想していた1章さえも終わらず月末になってしまった。忙しくて…と自分の中で納得していたけれどそうでは無い。ただ書き進められなかっただけ。今までは空想を書いていた。映像というか静止画が頭の中を流れてそれを文字に書き起こす。今回は実際の経験を元に書いていたけれど、書いていたのに、進まなかった。朝方、既に冬だと言える気温の中で散歩しながらあれこれ考える。今散歩している事を書いたらどうなるだろうか、とか。日常は思ったより淡々としている。想定外の事などがあってもそれは流れた時間に収まる。テレビドラマやマンガの展開は流れた時間の中に収まらないから非日常として捉えられて、だからテレビドラマやマンガ足り得るのだろう。こちらはだから淡々に書けば良い。読み手となって書いていたから何度書いてもそこに時間が無かったのだと気付く。その流れが読み手に伝わったら逆に、と言うのもおかしいけれど面白いだろうな、と思う。