初回を録画鑑賞してから(あの頃はまだVHSだった)10回目。もう10年もやっているのか、クリスマスの約束。でもがっかり。あんまりだった昨年から何も変わっちゃいない。初めの数回は、歌に、ステージに、物語があったのに、今ではただのカヴァー曲ライブなってしまった(本人は歌うけれど)。小田和正はコンセプトだけじゃ駄目だって知ってそうなのに、何でこのような変化をしたのだろう。ステージに立っているボーカリスト達の姿に今や先を求める感じがない。過去に付けた足跡の上を同じように歩いている姿しか見えない。ただ沖縄出身の二人は違った。探してるような、求めているような、惜しむような。声や表情に物語が浮かぶ。
年齢が重なれば重なるほど、人が集まる場では、背の高さをつま先立ちやら膝を折るやらして合わせるような微笑みが増える。それが大人と呼ばれるものかもしれない。けれど、良いものを作ろうと思うのならば、果たして並ぶべきだろうか。小さなステージで代わる代わる音を響かせる学生バンドだって目は獲物を狩るようにギラついているし、文化祭の壁画制作だって活発さの中に鬼気としたものが宿っている。別にそうあるべきだ、とは思っていない。結果的に、微笑みの重なりで良いものが生まれるかもしれないし、ギラつく視線が何かを殺すかもしれない。けれど、やはりそれは並ぶことがまずあったわけではないだろう。何をしたいのか、またそれが何に向かっているのか。それを考えて歩く必要はある。来年に向けての自戒を込めて。メリクリ。
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デジタルを使い始めてから出番の無くなったContax G1セット(ボディ、45mm、28mm、90mm、ストロボ)をドナドナして、Voigtländer Bessa R2Aを中古購入。グレーモデルは元箱付きで安く売っていたが、精神衛生的に少々プラスしてブラックモデルにする。R3Aという選択もあるが、何となく広角レンズが欲しくなりそうなのでR2Aに。ただライカM2とはすごく悩んだ。が、値段と程度の問題で、お金持ちになった時に、と諦めた。まぁAE付いているから良しとする。レンズはM-Rokkor 40/2もあったが格安だったNokton Classic 40/1.4 S.Cに。Portra 400NCのバラ売りが無かったのでTRI-X400で数枚撮ってみるが、ブライトフレームでの視認にまだ馴染めない。40mmのフレームもR2Aには無いから少々ややこしい。シャッター音はメタルシャッターだからライカよりは当然大きいが、でもまぁ可愛い感じ。ファインダーが少々劣化しているので、長野に帰った時にでもコシナで見てもらおうか。サポセンってあるのかな。
去年に続いて年末歌舞伎。昨年は寝不足で途中大分辛かった思い出があったが、今年は夕方の回だったから存分に観られた。声の残し方で大分響きが変わる。松本幸四郎はそこが上手かった。だからソロでも貫禄を感じる。恐らく風邪引きだった市川左團次の咳も同様か。歌舞伎の咳だった。染五郎は誰かと演じている時には良いのだが一人だと少々物足りない。声が細いのか。だが、ここまで格好良かったとは思ってもいなかった。
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気候や身体のことからまず始めるのは、やはりそれが一番素直な反応だからだろうか。他に何も考えちゃいない、ということもあるか。寒さを覚悟していたが、予想以上の寒さに帰省早々ぼやくと、こちらからすると死にたいとしか思えない軽装の友人から、今日は暖かいけど、と言われたのが一週間前。翌日訪れた軽井沢でも同様のことを言われた。ただまぁ数日で慣れる。東京へ戻ると、電車内は暑く、外気も涼しいくらいになった。が、これにもまた数日で慣れてしまう。
GXRを一応は持ち帰ったものの持ち歩くことは無かった。あまりに趣味的過ぎるけれど、上がりの質感よりも、ファインダーを覗いてシャッターを押すまでの気持ちの在処でフィルムカメラを手に持っている。バシッと瞬間的にフォーカスを合わせることは出来ないが、それは見ているからそれ自体に興味があるわけではないんだな、と何度目か分からない野尻湖の湖畔にて水上を滑る鴨を見ながら思う。水が撥ね上がる瞬間ではなくて、撥ね上がった水滴が作った波紋が融けたあたり。グレーが黒になりそうなあたり。そこにあるものが見たい。まぁそういう意味でも、黒(や白)に近いグレーの感じは、デジタルでは四捨五入されているようでなかなか難しいから、今はフィルムってことで良いのかもしれない。
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背面液晶にぼやきながらもいざ無いとなると少々不安になる。凡そ二年ぶりに持ったフィルムカメラは、でも、1枚目はそんな不安と記憶を手繰り寄せるものだったが、それ以降はデジタルカメラで固定化されていた時間からの解放を享受していた。デジタル化によって獲得した撮影から確認までの殆ど0に近いスピードは、確かに写真というものが純粋に進化した結果なのだろうけれど、ただ人が観る対象としてはこのスピードは必要な進化だったとは言えない。でもこれは人の感覚がスピードに、利便性に、効率性に何れというよりも既に慣れてしまってはいる。ただ、ゲームの中で過ごすようには目の前の光景は後戻りもリセットも出来ない。時間は、どんな説があっても、感覚の上では順方向に流れている。同じように目の前の光景も同じ時間が流れている。デジタルを持ったことで人の時間が早く流れていると錯覚し、また早すぎて戻れる(やり直せる)という感覚が、フィルムにあったものを失わせたような気がした。まぁでもこれは、こちらがデジタルの利便性に溺れてただけの言い訳か。現像からあがってきたものを見ると少し丁寧に撮っているのに苦笑う。反省、反省。
シャッターを押しているのにおかしなものだけれど、常に鑑賞側でいたいという思いがある。というか、こちらは存在する光景に向けてカメラを持ってそのシャッターを押しているだけだから、それ以外にはあり得ないだろう、と。まぁだから、背面液晶で見る目の前の光景と殆ど変わらない画像を見ていることに、何を見てるんだろうな、という悲しさがあるのかもしれない。微妙に直ってきたRTSは、字の如く、微妙に直っているが修理内容のメインだったシャッタースピードについては完全には直っていない。ただ調整はされたようでカメラが教えてくれる適正露出で撮ると、アンダー気味に写る(修理に出す前は酷くシャッタースピードが遅かった)。元々そんな設定だからまぁ程よくチューニングされたと思うことにする。このままフィルムを暫く使いたいけれど、デジタルに慣れた金銭感覚では少々躊躇ってしまう。
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どうにも考えを捕まえておけない。掴んでいたと思ったのに、始めからなかったのか、泡のように消えてしまっている。でもまぁ答えなど出ていなかった。そんなものこれまで出たことなどない。ただ、そのことが時折こちらを非常に憂鬱にする。子供みたいに理に頭を悩ませる。幻想が破られ、爪楊枝の身体から生えた足が流れの中で歩みを止める。こういう時、何を支えに突っ立ってば良いのだろう。バケツでも用意されてないかしら。支えられないけれど、少なくても意味はある。一方的にだけれど。今をただ先送りにするだけだけど。
来週、DVD100枚納品があり、発注していたディスクやトールケース、ジャケットが次々と届いてまぁコストカットのために自分でセットしていく。ただそんなことをしていても面白くはないから、これまで買った映画DVDの一部を見直す。気になったものを買っているからハズレというのも少ないが、今更、アタリということもない。ただ、絶対に外せないというものは買ってないのね、と気づく。借りてばかり。足りなさってこういうことかもね。
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