傲りと過ちによって必要以上に喘いだ、言葉に追われる日々がようやく一段落する。このひと月で、キーボードで3万字、手書きで1万字ほどになっている。全てではないにしても、テーマに沿って、参考文献を漁って、などとやっていると、まだ慣れぬのもあり、言葉が無意識下の文字列となって失われる。その中で、残す他無かったとは言え、最後に手を付けた連句(文音)の付けのおかげで思いがけず救われた。光景から言葉を、逆に、言葉から光景を立ち上げて、それを短い言葉で綴る行為は、言葉にしたくともなかなか出来ないものを言葉にする行為に近く、それは、良い写真を見た時の感じ方に近い。イメージが、主観と客観(或いは間主観)の違いはあるけれど、1巻36句、中折り換算で18枚、と句それぞれの光景を見れば、写真集に近いだろうか。若しくは、象形文字の成り立ちを辿っているような気もする。事物や自然を象り圧縮し、それを解凍して事物や自然を知る。全く書けもしない漢字を生み出すほどに熱中する気持ちが、この行為への気持ちが、ちと分かる気がする、などと久しぶりに湯をためて浸かった湯船で浮かべてみた。
引っ越しが終わって落ち着いたら、と思っていたら春になり、夏の展示前後に告知も兼ねてと思っていたら夏も過ぎ、秋は上述のように過ぎて、また冬になってしまった。月に1度くらい、更新してないね、と言われて、そうだなぁ、とここまで来てしまった。言葉の訓練のため、という当初の目的からすると大分さぼってしまっていることになる。12月にして今年4回目。3ヶ月に1回じゃあ何となく不満が残るので、2ヶ月に1回くらいの回数にはしたいところだが、まぁどうなるかみてみよう(ライコネン風)。
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ハテナ缶の無い自販機、知らぬ表札の木造家屋、腰ほどの高さのフェンス、老いた犬、コルベット、プレハブの校舎、新築の家、雪や石やで狙った電柱の少年、惚れた娘が消える辻。
小学校への通学路だった道を、小学生と同じような移動手段しか持たない30歳になって再び歩く。中学校は小学校の更に先だから、9年間も通った勝手知ったる道。車でも何度も運転して通っている。その迷うはずのない道で、惑う。全てが小さく狭い。振り返ればあるはずの景色がずれる。夢の中か特撮のジオラマか、と目眩に襲われる。ただ、靄の向こうにぼんやりと浮かぶ記憶の輪郭が、晴れるにしても隠れたままにしても、ここで育ったのだという確かさを与えてくれる。それにしても随分狭い範囲で冒険をしていたものだ。用事を終えて帰る道は、子供のころには超えてはならぬと言われていた学区外の道を選んだが、そこを隔てるのは車一台分の狭い道でしかなかった。興奮しながら超えていたそのラインを今ではとても羨ましく思う。
急遽帰省することになり殆ど飛び乗ったようなものだったから、いつも座る左列の窓側の席がいっぱいで2席だけ空いていた右列の窓側を余計なお金を出して座る。大抵、本に目を落としてから少々眠り軽井沢〜佐久あたりで目覚めるという感じで、左側の席だと丁度町並みが望める。上田の少し手前だが、千曲川の彼岸あたりから山裾まで緩やか登る一直線に伸びる道の街灯が、山奥の古刹、と言いたいところだが、黄泉への道標の灯のように見えて惹きつけられる。まぁでも今回はお預け。そのかわりに赤く大きな月を見る。いつもと違う間接視野の景色に長く本に目を落とすことが出来ず、排気に烟る関東平野の街を流れるままにぼんやりとただ眺めていた。薄皮を掛けたような、という文章を読んだ直後だったから、これがそんな感じか、と思いながら。その視線の先から月が昇る。殆ど目線の高さから。そういえば、と子供のころ、まだ低学年だったと思うが、父に連れられて初めて東京を訪れたときのことを思い出す。銀座あたりだったか、タクシーの車内からビルの合間に見えた真っ赤な大きな円を、あれは何、と聞いていた。まさか月だとは思ってもいなかった。東京、という幼いイメージが生んだはずの疑問が今でも同じように繰り返される。暫く眺めていると、徐々に小さくなり赤さも落ちる。長野県境に近づくと再び沈み、次に昇ったときにはいつも見るお月様となっていた。
いつだったか、文字が留まらない、とぼやいたけれど、これが回復傾向に走ったと思ったら今度は、声が留まらなくなった。対面で話をしていて頷いてもいるのだが、知らぬ間に知らぬ話になっている。過ぎた声がぼんやりと漂ってはいるのだが、その繋がりが分からない。ともすれば、拾った声から勝手な思案を始めて脈絡の無い話をぶっこむ。他者がいる場合に限ったことではない。コーヒーを一口飲んでからメモろう、と頭の中で復唱してからコーヒーを啜ると、舌の上にでも置いたままだったのか、きれいさっぱりに流されて忘れてしまう。以前はこんなことはなかったのになぁ、と思いつつ、ずっとこんな調子だったのかもしれない、と思い直して少々恐ろしくなる。もうこんな状態で三十年も生きてしまっているのだ、もしかしたら。
年明けにジョン・フォードの幌馬車を借りたら嵌り、近所のレンタルショップにもう1本あったわが谷は緑なりきを借りに行く。ついでに、今年に入ってから2〜3日おきに登場して、抜けてく言葉の中で留まり続ける、小津、を探す。邦画の棚のそれっぽい所を探して見つからず、ローラー作戦でやっと下段の片隅にポツンと1本だけあった東京物語を手に取ったが、何度も観ているし東京に戻ればあったはずだ、と一度戻し、いや、でも、やはり、と逆らわずに借りる。あらすじも流れも知っているし観ずに返却することになるかも、と暫く放置したままだったが、手元に捲る本が無くなった夜中に、再生を始めて魂消る。これまでで一番食い入るようにして観た。悔しいけれどこれまで何を観ていたのだろうか、という心持ち。びびる。関わる全てを緻密に積み上げて、偶然で描かれてしまった普遍性を計算して撮る感じ。アングルもカメラも演出もその他全てがロジカルな必然性が過ぎるほどにあって恐ろしい。
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この季節にしては珍しく雨が続き、それを挟むようにして年が明けた。紅白が一部からテレビに映る中、母と妹家族と鍋を囲み、そのまま行く年くる年まで見つつ年越しそば。明けて、少々憂鬱な初夢で起こされ餅を食べる。新年の挨拶に行き、帰宅してから甥姪にお年玉。ここ数年で一番正月らしい正月を過ごしているのにも関わらず、でも、正月だという気が全く起こらない。暮れたという気もしない。日付を見るたびにいちいち驚く。正月だと何度頭に入れてもいつの間にか抜けてしまっている。足り過ぎたことで欲を出して足りなくでもなったのだろうか。見ていた方とは反対側を知らぬ間に通り過ぎてしまったのか。気候がどうにもしっくり来ないな、忘年会での冗談で済まさずにギリギリまで山で過ごしていればよかったか、などと考えていたら、今日になって漸く積りはしないが日中に雪が舞った。少しは寒さも厳しくなったか。これから年の瀬と言われても納得出来そうな心持ちではあるけれど、まぁこれで少しは認識が改まるだろう。あけおめ。
季節ごとに長野と東京を往復するような生活を3〜4年送っているが未だに、帰る、という言葉が上手く扱えない。長野へ向かうも東京へ向かうも使う言葉は、帰る。いつでも帰ってだけいる。どこへも行ってはいない。一体どこまで帰るつもりなのか。まだ帰れてはいないということなのか。内も外も混みあった帰省の車中で言葉遊びのように、帰る、という言葉を転がしたけれど、この言葉を持てないよりはマシかな、とあっさりと見切り、年内に片付けようと持ち込んだ読みさしの本へ目を落とした。だからか、降りる頃にはすっかり忘れ、冴えた空気に、帰ったな、などと浮かべてからはっと数時間前の思案を思い出し、まずその知能を悲嘆したら良いのに、あぁ今は漂ってるだけなのか、と無責任にも身体を軽くして氷点下の中を軽やかに家路を歩いてしまったから、今年の、初帰る、も上手くは言えないのだろうな、きっと。
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ついこの間、が僅かずつ離れていく感覚はあったけれど、それがとうとう3ヶ月を超えてしまった。年を重ねると時間が早く過ぎる、といわれるけれども、ただ物事を横に置いておくことが上手くなっただけなのかもしれない。それも身を守るためなのかしら。不甲斐ない。言い訳も謝罪も誰に求められているわけでもないこの記録だから、自身でこれまた受け止める他ないけれど、全くその為に始めたものだし、まぁもうちょっと不満を感じる日々でも送ろうか。
彼岸から涼しくなって秋も真ん中くらいに来ただろうか。未だここは子供みたいだけれどモチベーションが季節にかなり影響される。秋冬は良い。夜中の誰もいない道を車で走っているときのような感じが。ちょっと切ない感じが。欲望がシンプルな固体になる感じが。花咲き乱れる春の草原や太陽輝く夏の海ではしゃぐ自分は想像できないし、発散するのは向いていない、と思う。10月に入って恒例とも言うべき風邪と花粉症のサイクルを今年は2周りし、やっと体調が落ち着いてきた。目指すものも信じるものもなく、ただ今を欲しているだけだからどう過ごすのか見当も付かないけれど、粘土とバライタ紙と夏の間読まぬまま積まれた本に少しずつ手が触れ始めた。
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