向日葵枯れる夏
8月に入ったのか、と思ったのが2日か3日あたりだったからそれから既に3週間近く経った。お盆よりやや早めに長野へ帰省して丸々2週間。これまでのような酒が残る飲み方もしなかった。でも大人になったというよりは、20代ながら老いたような気持ちが残る。そういえば甥がきゅうり馬を作っていたけれど、食べたいということでなす牛は結局送り盆になっても登場しなかったな。
夕食の続きのように、母が見ているドラマを一緒に眺めていたが、どれも最後まで見ることは出来なかった。台詞が説明的、というよりも説明に終始していて全くリアリティがない。殴った相手に殴った理由を一から十まで言うのか。さるかに合戦も猿と蟹が和解して終わるバージョンが今はあるらしい。時代に合わせて物語も変容していくだろうけれど、汚れたこと(と全てを見てしまうこと自体が問題か)を隠したものが物語と呼べるだろうか。求められていないのか。この国は人を育てることが出来ない。政治から娯楽、生活にしてもそう思うことが多くなった。理解させることにもっと重点を置くべき。理解出来ることが前提にあると、自身を否定することになる。
太陽に向かって大きく花開いているイメージの向日葵が、どれも小振りで太陽に背を向けて項垂れ枯れていた。
レスポンスが悪いのでサーバ移行。と7月くらいにレンタルしてたけれどやっと移行。年額はちと高くなったけれど快適。微妙に待つ時間が耐えられない、色々と。