迷惑メール
携帯に届いた、愛する家族は皆死にました、という衝撃の冒頭文に迷惑メールだけれども思わず開いてしまった。本文はそれだけで下に色々なURLが並んでいる。削除して数時間後。同じメールアドレスからまた届く。その後も数時間置きに同じアドレスからストーリー仕立ての迷惑メールが届き、取りあえず開いてから削除する。どうやら数日前からこの物語は展開されていたようだが、基本的に知らぬ怪しいアドレスは開きもせずに削除してしまうから、今となっては何故そんな状態なのか分からない。明日から入院します、私からのメールは迷惑ですか、という自虐的なメールを最後に届かなくなった。数ヶ月後にでも、元気になって退院しました、なんてメールが来たらちと洒落てるけれど、シナリオをもっとちゃんと書かなければそれ以上は読まないだろうな。
終点、などということはあまり考えないけれど、日々、小さなことでもある程度の道筋は立ててはいる。その通りに進むこともあれば、全く意図していなかった方向へ進むこともしばしばある。まぁ部屋に籠もっていようが一人で生きているわけではない。他者という存在もあるし、社会というものもある。今回のようなタイミングでなければ、それも面白い、と捉えられただろうし、別の解決もあっただろう。けれど、もう今回は地団駄を踏むくらいにただ悔しい。スキル的にやりたかった仕事をスケジュールの問題から断らざる負えなかった。内容も、更に言えば金銭的な面も全く問題無かったのに。殆ど入れ違いのようなタイミングで別の、予定も予想もしていなかったボリュームのものが入ってしまっていた。どうにか出来ないか、と色々と巡らしてみるけれど、徹夜して詰めてみた所で間に合いそうもない。スキル、と言いつつ、スケジュール面からそのクオリティが保証出来ないし、既に受注している他の案件のクオリティにも関わる。一人で仕事をしているとこういう時、辛い。今現在、分業できるようなシステムが構築出来てればな、と時々思う。思いつつ、やっぱり最終的な部分で信用出来ないから、構築出来ない。バンドを結成する前から解散の瞬間を考えているような。仕方のないことだけれどちょっとこの悔しさは暫く引き摺りそう。
あと数百円で送料無料です、の言葉に導かれて、何かの葉っぱを買う。花が咲くものだったろうか。取りあえず現状は葉だけ。小学生の時に学校で育てたへちまがひとりだけ育たなかったり、菊も枯れそうなところを先生の介抱のお陰で事なきを得たものの結局他のものより小さく、その数年後に何となく買ったサボテンを枯らしてしまった過去があるだけにどれだけ耐えてくれるか不安ではあるけれど、キッチンの棚の上に置かれたその葉っぱは今の所は快調。たぶん。ここ数日で太陽の方に向かって葉が捻れ始めている。
If I coimmnucated I could thank you enough for this, I’d be lying.
Each morning I thank God for everything he has given me and I tell him “God, I’m putting everything in your hands”. I feel a “gut instinct” is a spiritual gift and 99.9% of the time, I have been correct.
I’ve been loinokg for a post like this forever (and a day)