外出すると、それまでの長い時間を部屋に籠っていることもあるだろうけれど、本当に色んな発見がある。幾ら部屋の中で思いを巡らせてもある程度の客観報道に泥で固めたような主観がペラペラの紙の上に整然と並べられているに過ぎなくて、どれだけ緻密にやっても計算からくる1670万色くらいの世界しかない。すれ違った人の仕草や格好ひとつで泥の固まりは脆ささえ持ち合わせていなかったことを知れるし、会話をすれば主観が如何に主観であったということを知れる。ビルの谷間から見える汚れた空気もモニタには映らない。だからといって積極的に外出しようという気は起こらないけれど、町へ出よう、という言葉を久々に思い出した。
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日々、何かの瞬間毎に思うことはあるけれど、その大半は忘れてしまう。またその大半は思ったことは覚えているけれど、内容を忘れている。全てを都度記録してくれる装置があればな、と考えてみたものの、それって記憶じゃない、と便利になればなる程、考えることも単純になっている。
誕生日前夜にフライング気味に、アラサー仲間、とメールが入る。言葉自体にリアリティが無く、始めは意味が分からなかったものの、そんな歳に入ったのか、と納得した。最近、主にネットになってしまってはいるが、情報に関しては以前よりも多く入れていると思っていたが、知らない言葉が多くて驚く。コアリズム、美ジョガー…。何それ、何それ、と調べて初めて知る。流行が一段落したらしい時期に。ネットは任意に情報を選べるから偏っているのだろう、と思うけれど、でも、反省する気にはなれない。ショックでもない。そういえば、婚活、も知らず、昔の言葉でしょ、と思っていた。
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目を開けると辺りが暗い。横に臥せったままどこを見るわけでもなく、ただ空間に差す青い光を掴もうと眼を凝らすが暗いものは暗い。そのうち、何時なのか、何処なのか、と自分を掴もうとし始める。考えてしまえば何て事無く、夕方に寝て夜に起きただけ、と分かるのだが、はじめはそれに、考えてしまうことに抗おうとする。浮かべた言葉がそのまま、空間に自身を縛り付けるような気がしているから。で、まさにその通りになる。その通りになって、言葉の恐ろしさを知る。
8ヶ月ぶりに髪を切る。前回は大分短くしたので、何とかここまで引き延ばせたが、流石に伸びに伸び嵩を増した髪が鬱陶しい。だが、美容師に、どうしましょうか、と聞かれる時になって、さてどうしたいのだろう、と悩む。伸びた髪は、それはそれで割と便利で、端末に向かっている時などは束ねて、視界を遮ることが無い。切ってしまうと、視界やまた頬の辺りに毛先が立ち、邪魔だ。ただ短くしなければ、また近々、髪を切りに来なくてはいけない。ここまで来て、自身を苦笑する。昔のように、カラーしようか、パーマかけようか、という意気地がこれっぽっちもない。言ってしまえば、利便性を求めている。1年前はまだ違った気がする。そんなことも影響したのだろうか、嵩を減らすだけにする。今度は半年と持たない。
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眠くなったら眠って、何時間起きていようとも眠くなければ眠らない、という生活をしていたら、今がいつで、腹が減ってきたがこれは夕食の時間か?それとも朝食?いやおやつか?と訳が分からなくなった。いつでもおやつということにしておきたいけれど、それもちと心配だからと、テレビで観てから食べたくて仕方がなかった餃子を、閉店間際のスーパーへ駆け込んで買い、夜中に焼く。誰でも簡単に焼けるようにはなっているのだろうが、皮がパリパリに焼け、これが頗る旨い。翌朝、更に2パック買い足しに行く。
忌野清志郎の訃報を聞いて、ファンでも何でも無かったけれど、直前に、自転車で長野まで帰ろうかな、などと話していたこともあり気になった。G.Wなのか5月なのか、それとも不規則な生活なのか、身体を覆い始めた倦怠感から、それに身を任せてしまうのもまた良さそうだが、もう身を任せているも同然だからやはりどうにかしよう、という気持ちが生んだものだった。でも自転車とはそんなものだろう。片道300km弱だからまぁ2日もあれば行けそうだが、碓氷峠あたりが難所かな、帰路が辛そうだ、など。往路は中山道を辿り、帰路は甲州街道を辿ってみたら良さげ。ただ暫く他の全てを投げ打つ覚悟が必要か。
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この問題を何度綴ることなのだろうか、また腰痛。4月からは殆どをモニタの前に座りっぱなしの生活。身体に良いわけがない。長野にいた頃も同じような生活だったが、でも、車があった。運転することが楽しみだったこともあって、少し出かけようか、とモニタの前から消えられた。車も座ってるっていえば座っているのだけれど、でも、出かけている。今は用が無ければ出かけもしない。どこへ行ったって人ごみだし、人ごみを抜けるにも、いつ乗ってもガラガラということの無い電車に長く揺られていなければならない。道のりを考えるだけで辛くなってしまう。こんなんじゃ駄目だ、と思いつつ考えることは、また旅に出たいな、ということだけで、それにはまず今はモニタの前に座ってなきゃならない。
能登で撮った写真をプリントしてみると、ここ最近撮れていたものと少し雰囲気が違う。場所なのか心境なのか。場所が心境に映った、とか言ってみたい。でも、まぁそうなのかもしれない。プリント作業自体は、モニタを新調したおかげで頗る捗る。若干の違いはあれど、本当に若干で、テストプリントも殆どいらないくらいにモニタに映る色に近くプリントされる。気持ち良い。
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