土曜の代表戦とEUROで気分が盛り上がってしまい、日曜の朝に新幹線に乗って長野へ帰り、正午過ぎからのフットサルのリーグ戦に参加。東京に来てからは練習は疎かボールにさえ触っていなかったから、身体が自分のものとは思えない程に動けなかったけれど、久しぶりに楽しかった。でも試合自体は惨敗。負けて楽しかった、とは…。
試合後は一度市内に戻り(試合会場は小川村)、疲労感から迷った挙げ句、でも折角だからと飯綱方面へ。疲労感が僅かづつ抜けていく毎に増す空腹感から、ハングリーキャタピラーへ寄ってクラブサンドとコーヒー。東京では殆ど口にしていない生野菜がおいしい。でもそれよりも、東京ではペットボトルを買っている、無料の水がおいしい。こんなに水をうまいと思ったのは初めてかもしれない。フットサルよりもこの水に長野に帰ってきて良かった、と思った。そのまま飯綱リゾート方面へ向かって、少し撮影。雨でも降ってくれればと思っていたが、薄い雲が重なって作る拡散光も綺麗。時折、一重になった雲の向こうに太陽が見える。
山を下ってから、妹のパソコン選びのお供でヤマダ電機。地デジ対応品が欲しいというので売場で見ていて、そこで初めて秋葉原の事件を知る。何時か読んだ小説や漫画にあったような事件だったから、どこか現実感が無い。想像力の欠如だろうか。地デジ付きは高いから、と妹は地デジ無しモデルにするみたい。
夜は実家にて、少しずつ言葉を発するようになった甥と夕飯。未だに最初は怖がられている。夜中の夜泣きと全身に表れた筋肉痛で睡眠は浅い。朝、新幹線に乗り、そのまま渋谷へ出勤。昼飯の弁当はいつも食べているものだけれど、今日はただ殺人的なものとしか思えず、その後、夜になっても食欲が湧かず、リンゴジュースのみを摂る。また味に慣れていくのだろうけれど、出来ればおいしいものを食べたい。
急に冷え込んだここ2日間の雨で、もう6月か、と気付く。まだ先週がGWだったような気がしないでもない。先月友人に、1週間は早いけれど1ヶ月は長い、と漏らしたが、5月はまるで無かったかのように過ぎた。ひとつひとつを手繰り寄せれば、勿論そこから様々な記憶が起こされてくるけれど、まぁ何と言うか、それはまたいつか、という感じ。取りあえず、朝のラッシュで押しつぶされて骨が折れてしまってヘロヘロになった傘を買い替えないと。でも、6月だ、と言っている先から、事務所から見える小学校のプールは、緑色から水色に模様を変えて、お掃除ロボットが昼夜問わず静かに水の底を徘徊し始めてる。
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往復での運転時間で言ったら4時間ちょっとと大したことではないけれど、朝5時起きで、夜帰るまでの間も休むことは出来ないから、いくら25歳だと言えども人間だがら流石に疲れる。自分以外は寝ているという見慣れた帰りの車内で、これって結構危ないよね、と沈む夕日を見ながら思う。運転していることの意味は形式的なこと以外無い。ただ、運転することで得られるロケーションは得難いものだな、と思う。出来ればロケバスで、と思ったりもするけれど、ロケバスなら勿体ないと思いつつもやはり寝てしまうから、車窓からの景色はカットされてしまう。何れにせよ、全員何事も無く無事だったことで安堵する。
かくこと以外に大事なことがあるのか、とポロッと口をついて出た言葉に苦しむ。そのこと自体の重さというよりも、軽さに。重かったら潰れてしまえば良い。軽いからこそいつまでも手の上にある。そのことに気付いてしまうと、というよりも、再び意識の内側に入れてしまうと、行動が伴っていないこともあって、辛い。では、じゃあ行動に移せば、ということになるのだが、軽いからそう簡単には踏み込めない。でも、取りあえず今日は、そんなことに悩まされる夢をみても構わないから、まず寝よう。眠い。
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GW前から1週間程続いていた腹痛は完治して、少し遅れて併発した風邪もやっと治まってきた。働きながらも治って行く治癒力に驚きつつも、原因もやはり働き続けていることなのかもしれない。気付かぬうちに疲労はたまって、腫瘍を残してく、ということだろうか、いつのどれのかも分からないけれど、代休が取れた今日、いつもの時間に機械的に起きながらも、そのまま浅い眠りを続けた結果12時間近く寝てしまった。寝惚けた頭は、季節外れの寒さに、働き始めた頃に巻き戻って、過ぎた予定を思い出させた。コーヒーをいれてボーッとしながら、徐々に昨夜からの連続した自分に戻って、昨夜終わってしまったプリンタのインクを買いに行かねば、と着替えて買い物に出た。外は本当に冬に戻ったようで、外気温計も13℃を示している。季節的には血迷ってはいないけれど、半袖などを着た人は腕を摩りながら歩いていた。東急ハンズでA4ファイルと万年筆っぽい水性ペン。ビックカメラでインクをセットで購入した後、本屋に寄り色々と手に取るが、手に取る本全てがかさ張るものばかりで、アマゾンにしよ、と棚に戻して帰宅。途中、駅前のマックでチーズカツバーガーを買う際に、応対してくれた店員が中年女性だったから、そういえば一昨日、駅からの裏道を歩いている時に中年女性にお尻を掴まれて撫でられたことを失礼ながらも(店員とは似てないけど)思い出す。東京は怖い。
ゴールデンウィークは休めるかな、と思うのは全くの勝手で、あれよあれよ、と全てが仕事で埋まる。何連休もとい何連勤。人が休んでいる時に働き、人が働いている時にも働く。どんな勤勉さなんだ。これが反映してくることを祈るばかり。
公私の、公だった部分が私になり、私だった部分が公になったことに、朝、自転車で事務所へ向かっている途中に今更ながら思い至る。日々の時間は、勿論、公が大部分を占めていて、私は今は殆ど無い。これはこれで、多少の運の流れはあったとしても、自ら望んだことだけれど、ふとした瞬間に、あたしって今どこにいるんだ、と思うことがある。身体は動いているのに脳はそれを認識出来ていない。自分を斜め後ろから見ているような。仕事の進め方や考え方、その他様々な違いを、今までは自分でそれを決めてきた分たぶん明確に見えていて、それがフィットしていないんだろうな、とは思う。けれど、たぶんこれで良いんじゃないかとも思う。アシスタントになりたくて、アシスタントをしているわけではないから。ただ、失うものは多い。得るものは大きいけれど。
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