発売から1週間。エンディングに近い所まで恐らく来ていると思うのだが、そこで足踏みしている。メインストーリーに直接関係無いサブストーリーをやったりしている。今作は何となく記憶には既に薄いけれどFF1とシナリオの雰囲気が似ている。だから、というのも可笑しいがシナリオ自体は悪くないと思う。ただキャラクターの表現というか背景の表現がイマイチで理解の強制を受けてる感じがする。ん〜、例えばFF7のニブルヘイムの神羅屋敷が無かったり、という感じか。いきなりポンと出されてそれに対して既にキャラが強い感情を抱いているからこちらとしてはそこまでの経緯を知らない為にそこでシナリオを更に客観してしまう。これらのネックになってるのは恐らくCG。妥協の出来なささがストーリーを薄くしたんだと思う。これを考えるとFF10なんかは上手かった。要所要所でクオリティの高いCGを持って来ていて印象に残ってる。今作ので印象に残るCGって無いな。スキップしてしまう飛空挺か。システムに関しては個人的な心情で無理。敵が既にマップに配置されているから襲われる、という感じが無く、だから、敵に気づかれる前にターゲットするので寧ろこちらが好戦的であるという感じ。敵が単体だと集団リンチの様な形になるし…。戦闘画面に入ってはい、どうぞと言われてから戦闘が始まるよりはリアリティはあるけれどなんだかなぁ。リアリティよりもこちらがどれだけゲームとして楽しめるかという事を考えて欲しい。
野沢温泉小4年生と水と油の小野寺氏らのパントマイム公演アクシデントへ撮影要員として出動。先日のリハの時よりも小学生がまた格段と上手くなっていて驚かされる。しかも開場前の通し稽古から公演終了まで約5時間近く動き回っていながら疲れを全く見せない表情というか身体が羨ましい。こちらは今日こそスチルを撮るぞ、と意気込んでいたものの、懸案だった会場の暗さであたしのカメラは役立たず。明るいレンズが欲しい。シャッターを切ったのは数回で、後はDVカメラをハンディで追いかけていた。自分の笑い声が入ってしまっていないかが心配。
昼前に寝て夕方起きたり、夜早めに寝て朝方起きたりと生活が乱れに乱れている。毎日寝る時間がバラバラだから食事も合わず、腹が減った時に食べるという何とも欲に身を任せきってしまっている。たぶん1日30時間くらいあったら規則正しいリズムで生活できる、などと思ってみるけれど、またその1日の長さに身体が徐々に適応していって同じ事を繰り返すんだろうな、とも思い、強制的に生活リズムを取り戻そうと寝る時間を調節してみるが結局次の日には戻ってしまうのだった。
失った記憶は多々あるけれど、どれも失おうとして失ったわけでは無い。今失おうとしているものの記憶は徐々に薄れていってそのうち失った記憶になるのだと思う。それを考えるとしがみつきたくなってしまうけれど、失おうとしているものは記憶であって、そのもの自体はもう失ってるようなものだからしがみつくものさえもう無い。忘れたい記憶として記録したら失う事はないけれど、消滅する記憶は蘇生する記憶として時に任せて失わせれば良いのかもしれない。そうやってポジティブなのかネガティブなのか分からないけれど、受け入れられたら良いのかなぁと思う。
早朝から(と言っても個人的に)マイム公演のリハーサル撮影へ。子供達、と自分を省いて言う年齢になっているのにやはりまだ言い慣れないのだが、その子供達に驚く。小学生が水と油の小野寺氏とパントマイム公演をするのだが、自分たちで動きを考えるし小野寺氏からの要求へのレスポンスも早い。こちらも密かに(勝手に)演出を考えるがあれこれ邪念(と言わざる負えない)が入り込んでまとまらない。熟考してるんだよ、とも言えるけれど、身体の反応を伴わないのは不健康かもなぁ。本公演も楽しみ。帰宅後、仮眠。ここ2日ばかりゲームに一切手を触れなかったのだけれど逆に睡眠不足。ゲームしていた方が健康的なのかしら、などと浅い眠りに入る前に思う。起きてからすっかり忘れていたサーバレンタル費を払いに行く。その後mixiで今日が講師をしていた専門学校の卒業式だと知る。卒業おめでとうございます…見てる人がいるかわからないけれども。彼らもやはり子供達と言うのは慣れていないのだろうか。
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夜が明け始めた頃、眠れずに散歩に出る。暖かくなってきたとはいえ、タバコを持つ左手はまだ冬の空気に痛さを伴いながら冷える。夜中動かず眠っていた空気をいきなり切り裂いて歩いたお返しにとビンタを喰らい眠気は春の始まりくらいの所まで飛んでいってしまった。
一人暮らしなのに、住んでいるのは実家に近い、所謂地元だからどんな道だって知っていると思っている。思っていた、か。久しぶりに歩いてみると様々に変わっていて、畑だった所がアパートや駐車場になっていたり、砂利だった道が舗装されていたりする。よく吠えられた犬もいないし、初めての彼女と別れた公園も無くなっていた。新しい道も増え、中には知っているのに忘れている道もあり、初めて通った時の先に何があるのか、どこに繋がっているのか、というドキドキ感をまた味わえたり。変わらないものは変わらないものでまだあって、それにいちいち記憶が呼び起こされる。失礼かもしれないけれど老人はこの為にも散歩をするのかなどと考える。
普段、車の速さで通り抜けてしまっているから、車の速さで捉えられる情報しか無いのだな、と実感。変わっている事にも変わってない事にも気づかず、考える事も速度に置いていかれてしまっていたのか。今知っていると言ったら、部屋からコンビニまでの道だけかもしれない。
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