7月に入ったからといって暇になったわけではないけれど、気になっていた自分のサイト制作を少しずつ始める。手始めにここ1年程で撮り溜めた映像、といっても2本ちょっとしかないのだがそれを取り込む。記憶から消えていたものが大半。そんなものかな、と刺激された記憶に尋ねる。そんなものかもしれない。撮っている時は全て使うつもりだったのかもしれないが(使途は別として)、結局20分ちょっとしか取り込まなかった。これが、今の私の反応なのだろう。今日はフットサルの試合で個人的にボロボロだった。頭では、例えば現役時代が再生されているのに、今の自分の能力は全く追いつかず、でもそれにしがみついている私がいる。だから余計焦って、ゲーム所では無くなる。チームメイトがいながら自分と闘っている様なもの。今の自分を見なくてはな、を色々な意味で実感する。その後、皆で行ったラーメン屋で唐揚げに付いてきたレモンの輪切りをそのまま食べる娘を皆で驚きつつ、レモンを見て涎が出る反応を楽しむ。レモンを見て涎が出る、という事が楽しいからか嬉しく思った。
私が日々制作しているものは、日々消費されていく。進化(若しくは退化)の過程においてこれは必須で、その中にあるのだから仕方無いじゃないといえば仕方無いのだけれど、これに最近疲れているんじゃないか、と感じる。何と言うか、無意味な活動をしている感じ。いや、これを訓練と捉えるならば、無意味では全く無いだろう。だけれど、同じテンションで同じ環境で同じ事を繰り返すのはそろそろ終わりじゃないのかな、と何となく思う。あ、忙しさで悲観的になっているわけではなく、どちらかというとポジティブな感じ。まぁ、飽きやすいのは確か。
酷く心が荒んでいる気がする。口から発せられる言葉は、どうしても思考と一致せず、嘘を並べているだけに聞こえる。だから話をするのが辛い。荒んだ状態に周りの人間を巻き込みたくないからどこかで壁を作る。巻き込みたくない、というよりは嫌われたくないからかもしれない。だから離れようとしている。この状態を見抜いて声を掛けてくれる人もあるが、結局は自分でやるしかないから、と何も言わない。欲求が隅に追いやられ、現実と諦めが立ちこめる。抑制する事で欲求が満たされてきたけれど、今は欲求をそのまま出していく力が必要なのかもしれない。
平安堂にて小田和正の「そうかな」、とsalyuの1stアルバム「landmark」を購入。仕事をしつつ聞く。暫くはこの2枚とネットラジオで事足りそう。先日買ったDef Techのアルバムはもう飽きてしまった。「そうかな」とは「相対性の彼方」の略という事は事前情報?で知っていた。まぁアルバムにも至る所に書いてあったが。相対性の彼方って?という事で、相対性について調べてみる。相対性理論っていうのはまず頭に浮かぶけれど、説明出来る程の知識はない。辞書を開くと特殊相対性理論…一般相対性理論…となっており、その後、光の媒質としてのエーテルの存在を否定、となっている。エーテル…。リリィ・シュシュ。エーテルの具現者、だったかな。今日買った2枚のアルバムが唐突に繋がりちと困惑。畏れ、かしら。このお陰で今もって相対性の彼方という事が判然としない、が、取りあえずそれで良い事にする。昼間4時間フットサルで動いて、この時間だと流石に眠い。いつの間にか明るいし。
フットサルの大会。1勝2敗で予選敗退…。勝てないチームじゃなかっただけに悔しい。新参者だったから今迄あまり戦術に対して何も言わなかったのだけれど、今日は言ってしまう。今迄のフォーメーションがフットサル的にベストだという事は分かるけれど、一番難しいし、戦術がそれに合っていない。しかもそんな練習してないのだから動ける筈も無い。寧ろ戦術的な事は一切やっていない。フォーメーションの修正と戦術の修正・確認。経験者にはちと厳しいもの(運動量が増える)になってしまったけどね…。それと、いつも仲間内の緩いプレッシャーの中でしかやっていないから、公式戦のプレッシャーの中でプレーが出来ない。私も実はそう。後半はやっと動ける様になってきたのだけれど、それまではボロボロ。何とかせねばなるまい。だから次の練習からは色々と口を挟もうかしら。挟むんだから自分に一番厳しくないといけなくなるし。そういえばまたイエローを同じ審判から貰う。まぁサッカーの試合の様に身体を寄せてしまったら相手が飛んでしまったから仕方無い。
大会終了後、rui・gu3・kiyo・fushiとお好み焼きを食べに行く。ガスのホースが抜けるなどハプニングが続く。カレー味のもんじゃは旨かったが、パフェもんじゃ?は最低。これが関係あるかないかはわからないが腹痛を起こす。自分が一番の年長者で食事に行くのは初めてなんじゃないかしら。