undergarden

我儘

私が日々制作しているものは、日々消費されていく。進化(若しくは退化)の過程においてこれは必須で、その中にあるのだから仕方無いじゃないといえば仕方無いのだけれど、これに最近疲れているんじゃないか、と感じる。何と言うか、無意味な活動をしている感じ。いや、これを訓練と捉えるならば、無意味では全く無いだろう。だけれど、同じテンションで同じ環境で同じ事を繰り返すのはそろそろ終わりじゃないのかな、と何となく思う。あ、忙しさで悲観的になっているわけではなく、どちらかというとポジティブな感じ。まぁ、飽きやすいのは確か。

mist

酷く心が荒んでいる気がする。口から発せられる言葉は、どうしても思考と一致せず、嘘を並べているだけに聞こえる。だから話をするのが辛い。荒んだ状態に周りの人間を巻き込みたくないからどこかで壁を作る。巻き込みたくない、というよりは嫌われたくないからかもしれない。だから離れようとしている。この状態を見抜いて声を掛けてくれる人もあるが、結局は自分でやるしかないから、と何も言わない。欲求が隅に追いやられ、現実と諦めが立ちこめる。抑制する事で欲求が満たされてきたけれど、今は欲求をそのまま出していく力が必要なのかもしれない。

エーテル

平安堂にて小田和正の「そうかな」、とsalyuの1stアルバム「landmark」を購入。仕事をしつつ聞く。暫くはこの2枚とネットラジオで事足りそう。先日買ったDef Techのアルバムはもう飽きてしまった。「そうかな」とは「相対性の彼方」の略という事は事前情報?で知っていた。まぁアルバムにも至る所に書いてあったが。相対性の彼方って?という事で、相対性について調べてみる。相対性理論っていうのはまず頭に浮かぶけれど、説明出来る程の知識はない。辞書を開くと特殊相対性理論…一般相対性理論…となっており、その後、光の媒質としてのエーテルの存在を否定、となっている。エーテル…。リリィ・シュシュ。エーテルの具現者、だったかな。今日買った2枚のアルバムが唐突に繋がりちと困惑。畏れ、かしら。このお陰で今もって相対性の彼方という事が判然としない、が、取りあえずそれで良い事にする。昼間4時間フットサルで動いて、この時間だと流石に眠い。いつの間にか明るいし。

フットサルもんじゃ

フットサルの大会。1勝2敗で予選敗退…。勝てないチームじゃなかっただけに悔しい。新参者だったから今迄あまり戦術に対して何も言わなかったのだけれど、今日は言ってしまう。今迄のフォーメーションがフットサル的にベストだという事は分かるけれど、一番難しいし、戦術がそれに合っていない。しかもそんな練習してないのだから動ける筈も無い。寧ろ戦術的な事は一切やっていない。フォーメーションの修正と戦術の修正・確認。経験者にはちと厳しいもの(運動量が増える)になってしまったけどね…。それと、いつも仲間内の緩いプレッシャーの中でしかやっていないから、公式戦のプレッシャーの中でプレーが出来ない。私も実はそう。後半はやっと動ける様になってきたのだけれど、それまではボロボロ。何とかせねばなるまい。だから次の練習からは色々と口を挟もうかしら。挟むんだから自分に一番厳しくないといけなくなるし。そういえばまたイエローを同じ審判から貰う。まぁサッカーの試合の様に身体を寄せてしまったら相手が飛んでしまったから仕方無い。
大会終了後、rui・gu3・kiyo・fushiとお好み焼きを食べに行く。ガスのホースが抜けるなどハプニングが続く。カレー味のもんじゃは旨かったが、パフェもんじゃ?は最低。これが関係あるかないかはわからないが腹痛を起こす。自分が一番の年長者で食事に行くのは初めてなんじゃないかしら。

写真

contax G1での最初のフィルムが現像から上がってきた。久しぶりにライトボックスを取り出して1枚1枚見て行く。その手が1枚の写真で止まる。私の写真にはよく写ったその顔。だが、その顔や姿がいつもと全く違う。背中は丸まって、今にも泣きそうな顔。いつもと変わらない様な会話をしていた時のものなのに。笑って話をしていた時なのに。その一瞬だけ、ファインダーを覗いてシャッターを押した瞬間だけ、その時の私には気付きもしなかった顔がそこにあった。念願のカメラが届いて、シャッターをきりまくっていた時なのに、その前後はテーブルの上のコーヒーが1枚ずつどうしようも無く写っているだけだった。この1枚は今の私にとても重くのしかかる。そして、それだけ考えなければならないのだ、という事を再度確認する。