undergarden

陶器

夜中の猛烈な雨は、朝方、ちょうど仕事を仕舞った頃には上がり、まだ明るくなりきらない街へ走りに出る。暫く走っていなかったということもあるし、湿度もあるのだろうが、いつもなら殆ど流れぬ汗が大量に噴き出す。タイム的にはでも悪くない。3km程走ったかというところから息を整えながら歩き始めたら玄関先に新聞を取りに出た老婆に、ご苦労様、と声を掛けられた。荒い息と共に吐かれた、おはようございます、が届いたのかは分からない。帰宅してそのまま温めのシャワーを浴びたが体温は落ちず、コンビニへアイスを買いに出ると、先ほどまでは無かったゴミ袋が収集所に出ており、こちらも資源ゴミを纏めて出す。アイスを頬張りつつ、テレビにて大雨と大津の問題を見ていたが、報道番組では無いけれど、そこまで類型的な幻想での正しさを主張する必要はあるのかなどと…。それならばいっそ、すっぱりと感情論に倒れてしまっても良いのではないか。どうでも良いことには厳しいのに。ゴミを出したからか、眠気が飛んでしまったからか、調子の悪い換気扇を、そういえば先日実家でもやったしな、と分解して修復。折角だからと分解した部品を洗剤につけて洗い始めたが、そこからコンロに手が伸び、それがキッチン全体に広がり、次にユニットバスへ移り、終わってデスク周り、それらが終わるとまぁ洗濯機を使っても迷惑では無いだろうという時間になっており、洗濯をしつつ掃除機を唸らせ、床まで拭く。まだ体温が落ちないのか、今朝の走りで汗腺の詰まりが解けたのか、再び汗が額を伝っており、シャワーをもう一度浴びて横になると丁度チャイムが鳴り、荷物が届いた。石塚花弓さんのイトトタネと名付けられた一輪挿し。春から気になっていたのだが、先日長野へ帰省した際にマチダさん宅にて見せて頂くとやはり良く、東京へ戻っても気になって仕方がないので連絡先を教えてもらって購入したものだ。開封して手に取り、置き、何を挿そうかと考えて午前が過ぎる。暫くはこの形を見つめるだけでも良いか、と思いながら、重くなった瞼を落とした。日暮れ頃に起きると、薄闇と半醒に殆ど隠れるようにある陶器を見て、今はこのままで良い、と決める。そのうち何か必ず収まるものが現れるだろう、と。

甘さとか

髪を短くしてから一週間。判ってもらえなかったり、子持ちのお父さんみたい、とか、調子が狂うと言われたりと反応はあるものの未だ自覚に乏しく、洗髪の度に、あれ、と額と共に目玉を持ち上げてやっと見える前髪を押さえつけてしまう。散髪中、用意された雑誌にずっと目を落としていて、後ろはこんな感じです、と掛けられた言葉に上げた顔の先の鏡に映る姿を見て咄嗟に、失恋ぽいな、と浮かぶ。そんな歳なのだから身なりもしっかりしないとな、とは思った。思った、けれど、きっと、短いことを良いことに暫く放置してまた伸びてしまうのだろうな。
様々な必要や余計が重なって暫くペンド状態になっていた案件を漸く今週に入って再び進める。いい加減経験だけでなく歴史にも学んでくれよ、とまぁ自身を棚に上げて、と括弧付きではあるけど言いたくなるようなこともありつつ、今週は…、と来週の恐ろしさを飲み込んで、気づけば夜が明けているような日々を過ごす。システムの基礎設計からの変更を余儀なくされたり見込みの甘さ(SEじゃないし、という甘え)から少々手を焼いたけれど、何とか終わりが見える。ただまぁちと疲れたので週末は休もう。買ったままテストすらできていないMAMIYA645も使いたいし、机上に広がった落書きも少し整理しないと。ここの所の暑さからなのか、冬に買った葉っぱがぐんぐん成長してしまったから、そちらの植え替えもしないと。

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445日


5/29〜30に掛けて、仙台から沿岸部を大船渡まで巡る。想像力はどこまで鍛えられるものなのだろうか。ナビの拡大表示で現れる家形が連なる場所は未だ取り壊されずに立っている家がぽつん、ぽつんとあるだけの更地で、緑地公園だったらしい場所はコンクリートで覆われ凸凹の車が並んでいる。瓦礫は正に山のように積まれ、山には津波の到達したラインがくっきりと現れている。国内外の報道写真や投稿サイトの映像は見ていたけれど、得る感覚、思考の届く範囲が全く違う。一泊二日でやっと辿れた地域の、距離にすれば倍程の地域が津波で被害が出たのだと、更にそれ以上の地域が被災したのだと、中々辿り着けない仙台までの帰りの車中で現実的な距離感をやっと捉えて愕然とした。どこでだったか。連れが、まだ1年と3ヶ月なんだな、とぽつりと言っていたな。
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里帰り

ただいま、と外出から戻ると居間でカレーを食べていた妹が、たぶん破水した、と言う。その言葉と目の前の光景があまりにかけ離れていたから思わず眉を寄せてしまった。よく見れば義弟は帽子もコートも着たままで、いつもならばもの凄いペースでこちらの3倍は平らげるのだが皿の半分にも届いていないのに苦しそうで、母も少々腰を浮かしたような何だか疲れそうな座り方をしている。義弟は結局、皿半分ほどでスプーンを置いてしまったが、当の妹は雑談しつつ完食。その後も、犬を撫で、そろそろ行かなきゃ、といって頬杖をつき、また犬を撫でて、いつものように、じゃあそろそろ、と腰を上げてからも暫く話し、それから漸くというか病院へ行った。1時間後、破水だった、と連絡があり、翌日の正午前に甥が生まれる。予定日よりも20日早いが通常分娩の範囲だそうで、それがいまいち分からずに心配していたが、まだ保育器にいた赤ん坊は元気に手足を動かしていた。こんなにも小さかったのか、と何度見ても驚く。あと20日もお腹の中にいたらもっと大きくなって大変だったろうから良かった、と憔悴し切った顔で話す妹は、仕事柄なのか性格なのか、既に母親だったけれど、同じく憔悴していた義弟はまだいつもの若者で、でも三日後再び訪れてみるとその顔は父親になっており、抱く腕も柔らかくなっていた。そういえば母曰く、妹が産まれた時間とその妹の子供が生まれた時間が同じ、とのこと。
まだ2週間はあるな、とかなり余裕を取って長野での予定を翌週以降も入れていたが慌ててアポを取って片付け、その傍らでも勘弁して欲しいのだけれど日付が変わった頃にデータが送られてくる仕事で連日朝まで端末に向かっており、ただまぁこういうことは重なるのが世の常だ、とまだ雪が舞っている午前に起き、というか起こされ、荷物を整理して詰めて東京へ送り、掃除機をかけ、妹の里帰りと入れ替わりで東京へ戻る。桜が満開。散り始めているか。
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雪運

一応、と昼過ぎに後部座席に放ったコートは、車に揺られるまま形が崩れただけで、日が暮れても袖を通すことなく再びハンガーに戻った。昨日の朝は牡丹雪が降ったという。生憎、というか、平常通り寝ていた。昼頃起きると母が、嫌になる、とぼやきながら教えてくれて慌てて外を眺めたが、路肩にわずかに残るだけで、その後の激しい雨に夕方には消えてしまった。
年末年始も含めてこの冬は長野で過ごすことが多かった。東京にいる時間と同じくらいだったろうか。それなのに、大雪、というニュースをみるのは決まって東京で、長野にいる時は翌日には消える程にしか積もらない。山へ行けば勿論あるのだが、別世界のようでリアリティがない。生活の光景として、歩ける日常として望んでいたのだけれど叶わなかった。昨年も確か同じ。今週末に雪の予報がまだ出ているけれど、まぁもう積もらないだろう。
周りからは年度末の忙しなさが流れてくるが実感としてそんなこともなく、だからといって呆けることもなく今が3月の末だということを珍しく自覚している。このブログの更新も今年初めてだということも含めて。初笑いはゆく年くる年のお坊さんでいきなり済ませてしまったがその直後の、今年で十年ね、という母の言葉が未だに尾を引いていて、どうにも日々を確かめねばならないような気持ちが続いているからかもしれない。
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