金曜の23時過ぎに長野駅に着く。仕事を終え、そのままの格好、荷物で電車に乗ったので流石に寒いかな、と思ったが、雨上がりの長野はどちらかと言えば暖かかった。長野は今が桜の時期だということをすっかり忘れていて、咲いている桜に嬉しくなる。東京よりも桜吹雪が美しい。人身事故の影響でダイヤが乱れていて、ギリギリで新幹線に乗れたから、乗換駅の売店で何も買えず着いてすぐ、駅前の馴染みの店へ。お客のギターの語り弾きを聞きながらシェフにおまかせでと頼んだパスタで夕食。夜中の3時に帰宅。東京は人身事故が多すぎる。
翌朝は9時半に実家を出てお寺へ。自身の転職による引越しや、その他色々な事情から都合が着かず、命日からは大分遅れての父の七回忌。このタイミングで再び父の存在を確かめるとはどんな偶然なんだろうか。何だか笑うしかない。時の流れの早さには驚くが、変化にとっては十分過ぎる時間だった。
2日連続で寝坊。寝起き一番の電話で起きはしたものの、誰かが何かを言っている、ということを遠くに感じながら再び夢の中へ。夢の中でも二度寝。春眠暁を覚えず。毎年、同じ行動をして、同じことを思っている。幸せだけれども、何とかならないものか。
渋谷の街を歩いていると、モンスターハンターP2ndGの街宣車と何度も擦れ違う。遠くからあのメインテーマが流れてくるとどうしても反応してしまい、何となく戦う姿勢になる。街自体が狩り場のような。いけない、いけない、とTSUTAYAへ入れば、そこでも壁やら天井やらにポスターが貼りまくり。今回はもう見送ろうと思っていたのに。
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育った地から、同じ県内でも縦に長いから車で3時間は掛かる見知らぬ地でも、何か懐かしさのようなものを感じる。それは標識にしるされた地名からなのか、道の両脇に連なる企業名からなのか、それとも景色を含んだ空気からなのかは分からない。けれど、確かに、ちょっとだけ情けなくなるような安堵感はあった。育った地に特別な思い入れは無い、と思っていたけれど、こういうものは、あるなし、に関係なく、深く身体に染み込んでいるのかもしれない。
仕事が変わり、住む場所も生活も変わってから、色々なことで字を書くことが増えた。以前から、と言っても、もう子供の頃から思っていたけれど、相変わらず字が汚い。思い描く書きたい字はあっても、そのようには書けない。致命的な気もするが、図形認識力が乏しいのかもしれない。そんな時にゲームショップへふらりと寄ったからだろう、美文字トレーニングを購入。1週間程、毎日じゃないけど、続けたら、少し上手くなった。字をゆっくり書くことを覚えた為だろうか。ただ、このソフト、面白くはない。トレーニング、本当に。続けて買ったエースコンバット6は面白いんだろうな、と思いながらプレイ。たぶん今はどんなゲームをやっても、面白いなぁ、とは思わない気がする(美文字トレーニングは別として)。ゲームよりも、1週間1冊ペースだけれど、空いた時間での短い読書の方が今は楽しい。
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土日は急に仕事になったので休み無く今週に突入。こういった事は予想していたけれど、よりによって予定のあった週末がピンポイントで潰れるとは…。予定の無い週末は意味も無く2連休が取れたりしていたのに。今週は連日予定があって代休を取れる感じもなく、土曜も仕事が決定しているから次の休みは日曜かしらん。などと言ってるとまた仕事になったりするんだよね。
東京に来て道端や広場のベンチで泣いている女の人をよく見かける。何故泣いているのかは勿論分からない。仕事で失敗した、とか、恋人にふられた、とか、願いが叶ったとか。ただ泣きたかっただけかもしれない。他者を夢想する時、そこには可能性だけしかない。自分を振り返った時、それだけの可能性は考えられないけれど、他者から見れば自分自身その可能性を持ち得てはいるのに。ただ、これは固形としてのもの。その心理を考えたら可能性なんてこととは比較にならないほどの広がりがある。そこがやはり知りたくて泣いている人を見ると、まだ身体に染み込んではいない帰路を間違えて見知らぬ土地に迷い込んでしまう。しかし、都会には隠れて泣けるような場所すらないのかしら。
寝起きは確かに機嫌が良かった。待ってました、とばかりに楽しみな予定のことで頭が埋められていた。それが昼頃には雲がかかりはじめ、夕方には日の光も届かない程の厚さになった。帰宅する頃は勿論と雨。まるで今日の東京の天気と同じようだった。だから、愚痴をついこぼした。一度口から出ると次から次へと雪崩のように出てくる。それじゃあんまりだ、と、不意に相手の話を聞いてみるが、全く耳に入らない。結局、また自分の口が話しだしてしまう。遂には相手の話を聞く気さえ起きなくなった。あたしの口から出た愚痴ははっきりとした形を持たぬ塊となって相手に残る。替わりにあたしに残ったものはずぶ濡れになった自分の姿。愚痴をこぼすならこぼすで、どこにも留まらない、こぼした後で少しでも笑える、そういう言い方、使い方をするべきだと思った。
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